デュアルキャリアを追求する。~ラグビー/ビジネスの二刀流プロコーチ 二ノ丸友幸~
GUEST
二ノ丸友幸(にのまる ともゆき)

元ラグビー選手(トップリーガー)であり、現在は人材育成プロデュース事業、スポーツコーチング事業、デュアルキャリアサポート事業を主に展開する「Work Life Brand」の代表。
日本ではプロラグビーコーチの先駆者として、高校ラグビーで有名な奈良県立御所実業高校ラグビー部をはじめ、全国10チーム(他競技であるカーリングチーム含む)と契約し、サポートしている。また、新入社員から管理職、経営層に至るまで、企業を対象にした人材育成研修や「コーチのコーチ」として、スポーツ指導者や学校の先生などを対象にした「コーチングセミナー」などの活動を行なっている。
特に最近では、「#他競技から学ぼう」を立ち上げ、代表プロモーターとして競技性を問わず、全ての競技のスポーツ指導者が横断的に交流を深め、学びの場を創出し、指導者の資質向上を目指した活動を推進している。
経歴
■啓光学園中学・高校
■ 同志社大学
■ タウランガスポーツ(ニュージーランド)
■ カネカタイフーンズ(株式会社カネカ)
■ マウントマンガヌイ(ニュージーランド)
■ クボタスピアーズ(株式会社クボタ)
目次
■ 仕事とラグビーの“デュアルキャリア“を目指して
■ スポーツコーチングとビジネスコーチングの両立
■他競技から学ぶ「枠を超えた教育」とは
■デュアルキャリアの体現こそ、アスリートの活動を広げる
仕事とラグビーの“デュアルキャリア“を目指して
-スポーツとビジネス、2つの領域で指導されている二ノ丸さん。元々ラグビー選手(トップリーガー)としても活躍されたとお聞きしました。ご経歴を教えていただければと思います。
ラグビーとの最初の出会いは、小学6年生のとき。高校ラグビーの聖地である花園ラグビー場へ全国高校ラグビー大会を見に行き、一目惚れしました。
ラグビーに魅了された理由として、監督が観客席におり、選手が監督の指示に従うのではなく、自分達で考えてできるスポーツであったこと、そしてノーサイドの笛が鳴るまで、選手が縦横無尽に走り回っている姿に惹かれました。そして、その全国大会で優勝をしたのが、のちに進学する啓光学園ラグビー部でした。
中学、高校と啓光学園ラグビー部に入部し、高校2年時から高校日本代表候補に選ばれました。また、成績としては3年間花園(全国大会)に出場し、1年時はベスト16、2年時に準優勝、3年時は3位という成績を収めました。
そして、大学はラグビーをはじめた時から決めていた同志社大学へ進学しました。関西の強豪である同志社大学ラグビー部は輝いて見えたからです。
当時、高校の監督から進路先希望についてのアンケートを渡された時、1から5欄すべてに『同志社大学』と記載しました。同志社大学以外考えられませんでしたし、同志社大学へ進学する為に中学・高校の6年間を過ごしたといっても過言ではありません。
-同志社大学でラグビーをするために、中学、高校時代は逆算して行動していたのですね。
幼少期から親の教育により、逆算して行動する習慣が身についていたように思います。
同志社大学では、1年時はレギュラーメンバーとして何試合か出させていただきましたが、2年時にアキレス腱を断裂する大怪我を負いました。
それまで順風満帆なラグビー生活を送っていましたが、2,3年時は悔しい思いをした大学時代でした。(当時は現状を受け入れることができなく、もがき苦しんでいた記憶しかありません)
そして、2002年に大学を卒業し社会人生活がスタートしました。
仕事とラグビーを両立したいという考えと、新興チームに入り、上を目指したいと考え、当時、関西社会人Aリーグに所属していた鐘淵化学工業株式会社(現:株式会社カネカ)に入社しました。
しかし、2003年から開幕した「ジャパンラグビートップリーグ」に参入できず、入社後1年で廃部になり、社業専念かチーム移籍(転職)の2択に迫られました。
-仕事とラグビーの両立を目指していたのに、突然ラグビー部が無くなるなんて。その後、どのような選択をされたのでしょうか?
幸いにも、トップリーグ参入チームの数チームからオファーをいただけました。
ただ、私の社会人としてのキャリアビジョンは仕事とラグビーの両立です。私の考えとマッチしていたのが株式会社クボタ(クボタスピアーズ)であり、転職(移籍)を決断しました。
配属はラグビー部初の法務部門でしたが、上司や先輩方に恵まれ、ビジネスパーソンとしての基盤を作れたように思います。
ラグビーは古傷のアキレス腱のケガの影響もあり、3シーズンにとどまり、2006年で引退しました。
引退後は、予定通り、社業に専念し、法務や広告宣伝など、幅広く業務に携わることができました。引退をしたことで「ラグビー選手」としての肩書を失った自分がどれだけチャレンジできるのかを考え、現役引退から約5年間(2007年から20011年まで)はラグビーから意図的に離れるようにしました。
ただ、ラグビーと仕事の両立(デュアルキャリア)を追求してきた中でラグビーを引退したので仕事ともう一つ何かを両立したいと考え、もともと興味を持っていた企業研修の講師になるための準備を密かに始めたのです。

選手引退から5年が経ち、ラグビーコーチとして現場に戻る準備に取り掛かろうとしていたタイミングで、当時、日本ラグビーフットボール協会のコーチングディレクターを務められていた中竹竜二さんから「ユース日本代表関連のコーチをしてみないか?」とお声を掛けていただき、2012年からはラグビー現場に戻り、コーチの勉強をはじめ、平日は仕事、休日はラグビーコーチとしての活動が始まりました。
これもタイミングと人の出会い、サポートのおかげだと思っています。
一方、これまで続けてきた研修講師に向けての準備も並行して取り組み、社内試験を受けて管理職に合格するなど、着実に独立・起業する準備を進めていました。
そして、仕事、企業研修講師、ラグビーコーチとしての基盤を構築することができ、引退してから10年後の2016年9月末に株式会社クボタの退職を決断しました。
スポーツコーチングとビジネスコーチングの両立
退職した翌月の2016年10月に「Work Life Brand」という会社を起業しました。
起業当初から複数のことを両立したいと考えていて、プロラグビーコーチと企業研修講師として活動が始まりました。
現役のプロスポーツコーチ(スポーツコーチング)とプロのビジネスコーチ(ビジネスコーチング)を同時(デュアル)に業(プロフェショナル)としている人が世の中にはいないと思い、新たな道を作りたいと思い、チャレンジしました。

実績があり、有名な指導者(引退後含む)がスポット的に講演などをすることがありますが、現役指導者(プロコーチ)が企業の講師を日常的にしている人がいません。
また、私のプロコーチとしての特徴は、ラグビーだけでなくカーリングなど、他競技のコーチとして様々なサポートをしていることだと思います。
そして、一番のポイントとして、選手を指導しているだけではなく、契約するチームのコーチングスタッフや保護者へのセミナーを実施するなど、チーム運営において重要な選手、コーチ、保護者の三つのカテゴリーへのアプローチをしています。特に、「コーチのコーチ」をプロフェッショナル(業)としている人は、実は日本には少なく、そのような文化もまだ確立されていません。
だからこそ、ここを追求しようと考えました。
また、私もアスリート出身者として、アスリートのデュアルキャリアについても力を入れています。すべてのアスリートに共通することは、遅かれ早かれ、引退の日が訪れるということです。引退後のキャリアデザインは人生においてとても重要なことです。
一般的にデュアルキャリアとは、アスリートの引退後のキャリア、つまり、セカンドキャリアの準備のように定義付けられていることが多いですが、私のデュアルキャリアに対する考えは『主の仕事にプラスになること』、『自分が成長し続けるために不可欠なこと』、『自分の人生を豊かにするもの』だと考えています。
ですから、競技を問わず、全てのアスリートに対して、スポーツと仕事、または何かの両立の大切さを伝えるセミナーや、1on1コーチングなども積極的に行っています。
また、『#他競技から学ぼう』という活動をスタートさせました。ひとつの常識や固定観念にとらわれず、指導者としての視野を広げるために、他競技の指導者との交流をすることが良いと考えました。『コーチのコーチ』として、様々な競技の指導者を集めた研修やコーチングセミナーも行っています。
様々な活動をしていますが、スポーツコーチング、企業人材育成、そしてアスリートのデュアルキャリア支援が私の取り組んでいる主な活動です。
他競技から学ぶ「枠を超えた教育」とは
-二ノ丸さんはラグビー以外の競技でもコーチングを行うなど、枠を超えた指導を行っています。
私が複数チームやラグビー以外のカーリングチームなどの他競技と契約させていただいているのは、その競技以外の大切なことも伝えていきたいと考えているからです。

私が考えるプロフェッショナルとは、「お客様のニーズに応えることはもちろん、プラスαのお土産を置いて帰れるか」だと思っています。
高校生へ指導を行う際は、高校教育を前提に、学校から教わらないプラスαを伝えています。「丸さん、あの時に聞いたミーティングの話が参考になりました」と言われることが一番の嬉しい瞬間です。こうして、今でも卒業した選手たちが連絡をくれることは財産だと思っています。
そして、全ての答えを教えるのではなく、時にはヒントやアドバイスに留める時もあります。答えを教えることだけが良い指導ではないと思っているからです。
良かれと思っている指導が、実は選手の成長の妨げになっているかもしれません。
時代が変われば、人が変わり、常識が変わり、価値観が変わり・・・・・・
つまり、時代にリンクした知識を持ち合わせるべく、学び続けなければいけないと思います。
目指すべきは、自ら考え、判断し、行動できる『自考動型人材(じこうどうがたじんざい』の育成だと考えています。
今置かれている状況を把握し、自ら考え、判断しなければいけないというスポーツ(特にラグビー)の特性から導き出しました。
またこれからの時代、有事の際にどれだけ力を発揮できるかが問われます。その根底には自分で考えて行動できる習慣や力を備えないといけないということです。
-スポーツで例えるならば、ミスをしたときのイメージが浮かびます。ミスに対して「ダメだ!」と叱るのではなく、「なぜそうなったのか、どう修正するか」が重要だと感じました。
その通りです。
ミス後のカバーをどうするのかが重要です。しっかりと考えた上で、答えのあるミスはOKだと思います。
しかし、時には考えてチャレンジしたことを即否定する指導者や管理職の人がいます。そのような指導では、選手や部下は自分で考えなくなりますよね。
指導の中で、この見極めが重要だと感じています。
デュアルキャリアの体現こそ、アスリートの活動を広げる
-二ノ丸さんの言葉には重みがあり、ご自身で体現しているからこそ、説得力が違います。
理想論を語るのではなく、実際に経験したことや新しく学んだことをきちんと整理し、対象の方々にカスタマイズし、身の丈に見合った講義をしていることが、オファーやリピートに繋がっているのかなと思っています。
現役のプロスポーツコーチと、企業を対象とする人材育成プロデューサーと、デュアルに活動するからこそ、リアルタイムの事例・実例を用いて伝えられる。これが私の強みだと思っています。
-二ノ丸さんのように、プロスポーツコーチと何かを両立する指導者が増えれば、アスリートの活躍の場が広がるかもしれませんね。
特にラグビー界は未だにアマチュア思考が強く、ラグビーを指導して対価を得ることを良く思わない人がいます。ですが、ビジネスモデルを作り、子どもを指導しなければ優秀な選手が育ちませんし、将来性がないスポーツに魅力はありません。
そして、ラグビーに取り組んだ人が、その先の人生も楽しく過ごしていると伝えることが、子ども達に魅力を感じさせ、明るい希望を与えると思います。

-最後に、二ノ丸さんの活動を通じて伝えたいことは何でしょうか?
私はラグビーというスポーツを真剣に取り組んできました。ですから、今後もラグビーで培ってきたことを今後のキャリアやフィールドで活かしていきたいと考えています。
オリンピアンやプロ野球選手、Jリーガーといった、スポーツに真剣に取り組んできた方々が、引退後のキャリアでアスリートとしての経験を活かしきれていない人が多数おられ、実際に相談件数も増えてきています。
これは非常にもったいないことです。
人生を懸けて取り組み、得てきたものは次のキャリアやフィールドでもアウトプットしていかなければいけません。
私自身、大したことはできませんが、みなさまにお力添えしていただきながら、世にないものにどんどんチャレンジしていきたいと思っています。
そして、「二ノ丸ができているなら僕にもできるはずだ!」と思ってもらえるように、デュアルキャリアを体現し、アスリートの身近な等身大になれたら良いなと思っています。
ぜひ、共に学び続け、成長し、豊かな人生を自ら切り開いていきましょう。
ありがとうございました。