GUEST

櫻井 由香(さくらい ゆか)

元バレーボール選手。岐阜県立養老女子商業高等学校(現・大垣養老高等学校)→日本電装(現・デンソー・エアリービーズ)で活躍。日本代表として、オリンピック、ワールドカップを経験。

現在は、Vリーグ機構の排球堂マーケティング株式会社で普及の活動をしている。


目次

■「楽しいスポーツ」から「勝たなければいけないスポーツ」へ

■熱気や歓声が溢れる時代を目指して

■自分に合ったスポーツを見つけるために


「楽しいスポーツ」から「勝たなければいけないスポーツ」へ

-高校、社会人、そして日本代表として活躍された櫻井さんですが、バレーボールを始めたきっかけを教えてください。

小学5年生の時に、友人から「一緒にバレーボールをやらない?」と誘われたことがきっかけです。

当時は、「あんなスポーツはできない。正直、嫌だな」と思っていたのですが、実際に体験すると「こんなにおもしろいスポーツだったのか」と感動しました。

-バレーボールを始めた直後の櫻井さんは日本代表として活躍するなんて想像もしていなかったでしょうね。競技を続ける中で「楽しむ」から「本気で取り組む」に変わったのはいつ頃でしょうか?

小学生、中学生の時は友達と一緒にする『楽しいバレーボール』でしたが、高校では春高バレーなどの全国大会の出場を目指し強豪である養老女子商業高校へ入学しました。そこから私のバレーボールは『勝たなければいけないバレーボール』に変わりましたね。

-「楽しい」から「勝たなければいけないバレーボール」に変わることで、櫻井さんの中で心境の変化があったと思います。

正直、苦しかったです。特に社会人の時は苦しさを感じていました。

競技活動でお給料を頂いていましたし、お客さんはチケットを購入し、試合を楽しみに待っています。監督からは常々「バレーをすることは義務と責任」と言われましたが、その通りだと思いました。正直、楽しむことが出来なかったと思います。

-様々な重圧を感じながらプレーをしていたんですね。誰しもに訪れる瞬間だと思いますが、選手としての引退を決意された時の意思決定過程や背景を教えていただけますか?

私は2012年に引退をしていますが、当時、辞める気は全くありませんでした。

アキレス腱断裂という大けがの半年後、リーグ戦に復帰したのですが、リーグ戦終盤になるにつれて足が動かなくなってきました。ただ、自分の中では次のシーズンを見据えて「これからだ」と思って練習に取り組んでいました。

その矢先、監督から「Vリーグ機構が櫻井を表彰したいと言っている。その賞は特別賞で引退する選手に与える賞なんだ。どうする?」と言われました。

続けて「以前、櫻井がやりたいと言っていたバレーボールの普及活動については、会社が事務局を作ってバレーボールの普及活動ができる準備をしている」と伝えられたんです。

競技を続ける予定でしたが、(この話を断ると)もしかしたら普及活動の環境が無くなると思い、一晩考えた結果、引退を決意しました。

-そういう意味では、必ずしも予め意図した引退だったんですね。引退後の生活は普及活動に専念されたのでしょうか?

Vリーグ機構という新しい環境でバレーボールの普及活動に取り組んでいました。慣れない東京で生活、料理、満員電車、PC作業・・・と何もかも初めてのことばかりでとにかく毎日必死でしたね。バレーボールよりも悩んだと思います。

その生活の中、東京にいる仲間たちと一緒にバレーボールに取り組むことであの頃の楽しいバレーボールに気付くことが出来ました。ボールに触れる幸せや仲間と一緒に取り組む楽しさを思い出したんです。

今までの「勝たなければいけないバレーボール」の呪縛から解放された瞬間でした。

楽しいスポーツですし、私を成長させてくれたバレーボールへの恩返しをしたいという想いがより一層強くなり、指導や普及活動への熱意が増しましたね。

-櫻井さんが感じるバレーボールの楽しさはどういったところでしょうか?

ボールを手で叩きつけることが楽しいです。相手のコートへ思い切り叩きつけることができるんですよ?(笑)

他の競技では、ラケットで打つや叩くなどあると思いますが、自分の手でボールを叩きつけることはありませんよね。

バレーボールは楽しいスポーツですよ。

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熱気や歓声が溢れる時代を目指して

-少し話題を変えますね。数々の国際大会に出場されている櫻井さんですが、日本代表とはどのようなものでしょうか?また、オリンピックという舞台は他の国際大会とは違いますか?

日本代表としての活動は常に「責任」を感じていました。

胸に日の丸がついていますし、友人や指導者の期待に応えなければというプレッシャーがありました。気の休まる日はありませんでしたね。

オリンピックの舞台は今までの国際大会と全然違いました。特に違いを感じたのは外国人選手の目を見た時です。

日本の場合、自国開催の大会が多いからだと思いますが、どんな国際大会であろうと全力で戦うというモチベーションでした。ただ、外国人選手からは4年に一度のオリンピックでメダルを獲るという雰囲気を強く感じ、獣のような目つきをしていたことを今でも覚えています。

自分たちというよりも周りの選手や環境に大きな違いを感じましたね。

もちろん、テレビで見ていた世界が目の前に広がっているという感動もありました。

-オリンピックはスポーツの祭典として世界中の人が楽しみにしていますからね。今後の夢を教えて下さい。

小学生、中学生の時にテレビで見ていて頃のように、バレーボールの人気を絶頂にしたいです。小学生の頃、初めてのバレーボール国際試合へ、カメラを片手に母親にお願いして会場で観に行ったことがあります。

あの会場のようにバレーボールファンで会場が埋まり、熱気や歓声が溢れる時代をもう一度作りたいです。

その為の普及活動として、まずバレーボール人口を増やすことが夢の達成の一つだと思っています。

自分に合ったスポーツを見つけるために

-指導や普及活動をする上で大事していることはありますか?

子どもと同じ目線に立つことですね。

普及活動当初は、子どもの扱い方がわからず苦手意識を持っていました。大人として接しても全く心を開いてくれず悩む日が続きました。一方で普及の為には子どもたちにバレーボールの楽しさを伝えなければいけません。

ある日、子どもと一緒の言葉や口調を使いコミュニケーションを取ったら、嬉しそうに子どもたちが話しかけてくれ、一気に距離が縮まりました。今は教えるという考えよりも、新しい発見やネタの宝庫だと思い、多くの気づきを貰っています。

そして、子どもよりもまず自分自身が、会場で一番楽しむことを大切にしてます。

-子ども達へ伝えたいことはありますか?

自分の好きなものを見つけて欲しいと思っています。私がバレーボールを見つけたことのように。

今は色んなことに挑戦できるからこそ、自分に合うものを見つけてほしいです。本音を言えば、バレーボールに取り組んで欲しいですけどね。

黒いシャツを着ている男性

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-スポーツ人口の底上げは重要だと思います。今はスポーツも多様化しているので、いろんなことに挑戦しないと自分のやりたいスポーツ、向いているスポーツが見つからないですよね。

今の子ども達は外で遊ぶ機会が減っていますよね。外での遊びをやらないのではなく、できない環境にあります。

遊びの中で得た体の使い方は人として大切なことだと思うんです。こういった環境だからこそ、興味のあるスポーツを取り組んで、自分のスポーツを見つけて欲しいです。

-ありがとうございます。最後に、スポーツに取り組む学生へメッセージをお願いいたします。

スポーツの経験の中で無駄なこと一つもありません。辛いことも、楽しいことも、必ず自分の為になります。

『バレーボール』という競技を通じて、成長できたことはたくさんあります。私は『我慢』を学びました。社会でも我慢は必要なことです。それが身に付いてよかったと思っています。

縁があってそのスポーツを始めたことには意味があります。なぜそのスポーツを選んだのかを考えることが重要です。

挑戦を重ねて見付けた自分のやりたいことで躓いた時に「すぐに次」ではなく、やり抜いてほしいです。


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