※写真はご本人提供

インタビュイー:河合紫乃(かわいしの)

車いすフェンシング日本代表。元バドミントン選手。

東京パラリンピック、2024年のパリパラリンピックを目指すアスリートとして活躍するほか、モデルとしても活躍する二刀流のアスリート。


目次

・もう一度輝くために

・日本における車いすフェンシングの現状

・自分が輝ける場所は一つじゃない

・勇気や元気や笑顔を届ける存在を目指して


もう一度輝くために

―河合さんよろしくお願いいたします。以前はバドミントン選手として活躍されていましたが、バドミントンとの出会いを教えてください。

小学3年生の時、地元のスポーツ少年団に入りました。夏はバーベキュー、冬はスキー合宿というイベントが目的です(笑)少年団ではいろいろなスポーツの種類がある中、バドミントンを選ぶ友達が多かったので、私もバドミントンを選びました。

昔から負けず嫌いな性格で1位を取らないと納得がいかないんですよね。でも、成績は2位か3位という結果が多く、それが悔しくて続けていました。1位を取るまでやってやろう!と。

他にも水泳などのスポーツをやってきたのですが、バドミントンは最初に始めたスポーツですし、徹底的にやりたいという気持ちが強くて、気付けば17年間取り組んでいたという感じです。

幸いにも高校・大学・社会人と人生の分岐点では、バドミントンを中心に進路を決めることができました。

―競技を続ける中でバドミントンに対する考えや気持ちに変化はありましたか?

年を重ねるごとに、主体的に行動するようになったと思います。

高校までは指導者からのアドバイスに従うだけでしたが、大学ではそれに加え、自分で主体的に考えて競技に取り組むようになりました。自分の強み、弱みを考え練習メニューを組むことで、練習の質が高くなりました。

競技者としても人としても大きく成長できたと感じています。

―河合さんはケガがきっかけで車いすになったとお聞きしました。

そうです。大学1年の時に右股関節のケガをして、股関節の骨を削る手術を行ったのですが、成長期での手術だったことから社会人になって再発したんです。

同じ右股関節の手術でしたが、右側をかばっていたため左側も痛めてしまい、結果的に両股関節をケガしてしまいました。

痛みがじわじわと続くようになり、ある朝、起き上がれないほどの痛みがあり医師に相談したら「手術しかない」と言われました。

「またか・・・」という気持ちになりましたが、「もう一度バドミントンがやりたい」という気持ちと「このままでは思うように動けない」という不安から手術を決意しました。

手術後、「6週間で歩けるようになる」と言われていたので「休めるときに休もう」と思ってトレーニングはしませんでした。筋力が落ちることは想定していましたが、「また元に戻る」と思い、3週間で7キロも痩せましたがそれも心配はしていませんでした。

結局、1年4か月もの期間、入院をしました。その間、手術を繰り返したことによる神経損傷が原因で歩くことはできませんでした。

そして、この原因が判明したのはつい2年前になります。

当時は原因を明らかにしたいと思っていて、詳しい医師の方を探していました。しかし、そのような医師に出会うことができず、身心の問題と診断されてしまい、抗うつ剤や精神安定剤など処方されながら3年間も痛みと戦う寝たきりの生活を過ごしました。

体重も30キロ近くまで落ちてしまい、生きる意味について考えることもありました。苦しかったです。

―苦しい時期を乗り越え、前向きになれた理由は車いすフェンシングとの出会いがきっかけでしょうか?

病気になり引きこもりの時は、二度とスポーツに関わりたくないと思っていました。

バドミントンを失ったあと、料理教室やモデル活動などいろいろなことに挑戦しましたが、どれもどこか「自分らしくないな」と感じていたんです。

その時に、大学の後輩がバドミントンの国際大会で優勝したニュースをテレビで見て「もう一度スポーツで輝きたい」と大きく心を動かされました。

気持ちとは裏腹に、寝たきり生活で変わり果てた身体を見ると「もう戻ることはできないのかな」と考える事もありましたが、「もう一度輝きたい」という想いからスポーツに再チャレンジすることを決意しました。

はじめは、車いすバドミントンをやろうと考えたのですが、バドミントンだと健常だった時の自分を知っているので、葛藤(以前はできていた、動けていたのにという思い)が必ず出てくると思いました。

また、苦しいことを乗り越えたのだから、やるからには「世界で活躍したい」という想いと、寝たきり生活により8キロまで下がってしまった握力では、現実的に車いすを動かすことが出来ないと考え、車いすバドミントンは断念しました。

違う競技を一からチャレンジして、新しい自分を見つけたいと思う中、ネットで情報収集をしている時、車いすフェンシングを見つけました。

※写真はご本人提供

車いすフェンシングでは、車いすを動かす必要がないので握力の衰えをカバーできます。さらには、接近戦で迫力のある攻防の駆け引きに魅力を感じました。

人口が少ないのでパラリンピックを狙うことができますし、「女性選手募集」とサイトに掲載していたので車いすフェンシングを始めました。

始めた頃は、体力はないですし熱量も少なかったんです。世界を目指せる競技であれば自分らしくいられるから何でもいいと思っていたので。

ただ、練習を重ねると「やるからには勝ちたい!」というバドミントン選手時代の自分の熱量が蘇ってきて、車いすフェンシングにのめり込むようになりました。

日本における車いすフェンシングの現状

―日本における車いすフェンシングの普及状況はどの程度なのでしょうか?また、車いすフェンシングとはどういった競技特性があるのでしょうか?

フェンシングは太田雄貴選手がオリンピックや世界大会でメダルを獲得してから有名になったと思いますが、車いすフェンシングの場合、マイナースポーツなので知らない人が多いんです。

おそらく、競技人口は日本全国で50人くらいしかいないと思います。ちなみに、フェンシングはもともとヨーロッパ発祥の競技ということもあり、ヨーロッパで競技人口が多く、競技力も高いです。

車いすフェンシングは、フェンシングと同じく『エペ』『フルーレ』『サーブル』の3種目があり、私は3種類ある種目の中で『エペ』をメインとしています。相手よりも先に突くという一番シンプルなルールで誰もが分かりやすい競技です。

健常者の場合、頭からつま先までが点数が入る範囲となりますが、車いすフェンシングの場合は、車いすが固定されているため腰付近から上半身が点数の入る有効面になります。また、相手との距離が決まっているので、決まった距離の中で行われる駆け引きと瞬時の判断が必要になる競技です。

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―なるほど。近距離で固定されている上に、上半身が点数の入る有効面となると一瞬の判断で勝負がつきそうですね。

車いす上でも目いっぱい身体を動かして相手の攻撃が当たらないようにする駆け引きは、とても面白いですし魅力的だと思います。観ている方も身体の使い方などに注目していただけるとより面白く観れると思います。

―エペ以外の残り2種目についても、河合さんは取り組まれているのですか?

『フルーレ』と『サーブル』については少しだけ体験したという感じです。パラフェンシングを始めて2年ほど経ちますが、『フルーレ』と『サーブル』は攻撃の権利を持っていてもポイントがつかないという難しいルールと、勝敗の判断が一瞬で見えづらく私は『エペ』を選択しました。

『エペ』はシンプルなルールですので観ている方にも分かりやすく、楽しめると思います。ぜひ、『エペ』を見ていただき「河合紫乃」を応援いただければ幸いです(笑)

―国内で車いすフェンシングの大会が開催されることはあるのでしょうか?

大会は基本的に海外で開催されます。今年の4月に千葉県で国際大会が開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止になりました。

お金のかかる競技ですから、選手への負担は大きく個人でスポンサーを集めるなど選手たちが工夫して競技活動を行っています。

ゆくゆくは、こういった環境を変えていきたいと思いますね。

自分が輝ける場所は一つじゃない

―河合さんはアスリート以外にもモデル活動など様々なことを取り組んでおりますが、どのような活動をされているのでしょうか?

テレビや雑誌、企業のイメージモデルとして活動をしています。先日、富山県のミスエアーという賞を受賞させていただきました。

他にもラジオ番組出演を予定しており、打ち合わせなど行っています。ラジオを通じて応援してくれる人が増えたら嬉しいですし、何よりも私が経験したことを発信することでたくさんの人に勇気や元気をお届けしたいと思っています。

※写真はご本人提供

私はケガや病気が原因で障がい者になり人生のどん底を味わいました。すごく悩んだ時期もあります。でも今は車いすフェンシングと向き合い充実した人生を送っています。世の中には私と同じようにたくさんの悩みを抱えている方がいると思います。そういった方に私を知ってもらい、辛い環境でも「頑張ろう」と思ってもらえたら嬉しいです。

私の目標はパラリンピックでメダルを獲得することですが、それと同じくらい大切にしていることは、色んな人に元気を届けたいということです。

よく「河合さんから元気をもらいました!」と声を掛けていただきますが、私はその言葉から元気や勇気を貰っています。

たくさんの人を笑顔にしたいです!

―河合さんの大切にしている言葉はありますか?

私は「自分らしく」ということを一番大切にしています。

車いすになって久々に会う友達は、私にどういう声を掛けていいかわからないと思います。でも、以前と変わらない私であれば、周りもきっと理解してくれると思いますし、姿が変わっても「紫乃は紫乃だよ」と言ってくれます。

「障がい者になったからできない」など、障がいを理由にすることが嫌なんです。

私はどんなことがあっても「自分らしくあれば良いことが起きる」と信じているので、どんなことがあっても自分らしさを忘れずにいます。

あとは「感謝の気持ちを忘れない」ことです。

歩けなくなってから当たり前だったことが当たり前じゃなくなりました。今までの価値観が変わり、今の自分があるのは周りの支えがあるからだと思います。今フェンシングが出来ているのもサポートしてくれる方々がいるからです。

だからこそ、何事も感謝の気持ちを忘れないようにしています。

―いろいろな活動をされている中で気を付けていることになりますか?

スイッチを切り替えるよう心掛けています。‟パラフェンシング選手の河合紫乃”、‟モデルの河合紫乃”といったように場面ごとに切り替えることで集中して取り組むことができていますね。

あと、心掛けていることは『笑顔』でいることですね。

主にはアスリートとしての活動になりますが、モデルやテレビ出演など、注目される機会が増えてきました。地元の富山で「この前テレビ見たよ」とか「頑張ってね」と声を掛けてもらえるようになりました。

いつ、だれが見てもかっこいい河合紫乃として在り続けること、車いすフェンシング日本代表選手として恥じない行動をとらなければいけないなと思っています。

―河合さんとってスポーツとはどういったものでしょうか?

私にとってスポーツは人生そのものです。

どん底にいた私を前に進めてくれて、私を強くしてくれたのはスポーツですし、パラリンピックでのメダル獲得という目標や挑戦するチャンスを与えてくれる大切なものです。今後もずっと付き合うものですし、ずっと好きなものです。

スポーツにおいては‟「完璧」がないもの=ずっと成長ができるもの“だと思うんです。自分が納得いくまで挑戦ができ、成長ができるところに魅力を感じます。

勇気や元気や笑顔を届ける存在を目指して

―今後もアスリートやモデル活動など続けていかれますか?

続けていきたいと考えています。

「アスリートの河合紫乃」以外の「河合紫乃」も見てもらいたいと思っています。アスリート以外にも自分を輝かせる場を持っていることは良いことだと思いますし、挑戦する事や目標を追うことは私にとって生きがいです。

※写真はご本人提供

私がモデル活動をしているのは車いすフェンシングという競技を知ってもらうためですし、応援してくれる方へ何かを与える存在になりたいからです。

パラアスリートでありながら、モデル活動をしている人は数少ないと思っていて、私はそのパイオニアとして活動をすることで、障がいを持つ人に元気や勇気を与えていきたいと思っています。

私の活動を通じて、世の中がパラスポーツや障がいについての考え方が変わってほしいなと思いますね。

―河合さんの今後の目標を教えて下さい。

直近の目標は東京パラリンピック出場を目指しています。ただ、コロナウイルスの影響で選考会が延期になっていて、今後再開されるかわからない状況です。もし、選考会が無くなれば、東京パラリンピックへ出場する可能性が低くなります。

選考会の再開を願うばかりです。

ただ、今後もパラリンピックでメダルを獲得するという想いは変わりません。2024年にはパリパラリンピックがありますし、その後だってあります。ずっと車いすフェンシングを続けていくと思いますし、スポーツには一生関わっていきたいと思いますね。

―最後に、スポーツや仕事で悩んでいる方へメッセージをお願いいたします。

以前の私は不安や悩みなどで、前に進めず、決断ができないことがありましたが、今は障がい者になったことで「迷ったら進め」と何事も挑戦をするようになりました。

行動しないと何も始まらないですし、挑戦する事で得るものがたくさんあることに気付くことが出来ました。

自分らしさを忘れずにいれば、周りには支えてくれる人がいます。

どんなことも勇気をもって一歩踏み出してもらいたいと思います。

―河合さん、ありがとうございました!


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