チャレンジする理由は「スポーツが好きだから」。パラアスリート堀江航。 ~障がい者、健常者が感じるパラスポーツの魅力とは~

インタビュイー:堀江 航(ほりえ わたる)
様々なスポーツにチャレンジするパラアスリート。日本体育大学3年時、バイクの事故により左足下腿切断。
元プロ車いすバスケットボール選手。平昌パラリンピック・パラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)日本代表。車椅子ソフトボール日本代表。ブラジリアン柔術、カヌーなど、様々なスポーツに挑戦する。
※インタビュー内の写真はJWSA/Glitters、ご本人からの提供になります。
目次
・サッカーに燃え、体育教師を目指したスポーツ少年堀江航
・パラスポーツとの出会いのきっかけは車いすバスケだった
・気になったらやってみる。気付けばいろんなスポーツに挑戦をしていた。
・客観的に見た堀江航とは
・パラスポーツへの想い
サッカーに燃え、体育教師を目指したスポーツ少年堀江航
―数々のスポーツを取り組んでいる堀江さん。スポーツを始めたきっかけを教えていただけますでしょうか?
スポーツとの出会いは、小学校3年生の時に地元のサッカークラブに入ったのがスポーツを始めたきっかけです。
小さい時から体が動かすことが大好きで、放課後は学校で遊んでいる、よくいる運動好きな子でしたね。
小学校5年生からは三菱養和サッカースクールに入団してサッカーに没頭していました。
当時、Jリーグや全国高校サッカー選手権はサッカー少年の間で高い人気があり、選手権出場が僕の夢になっていました。
夢の実現に向けて一般受験で都立駒場高校へ入学し、都立駒場高校史上初、選手権出場を果たすことが出来ました。奇跡のチームで、高い個人能力に加えてチームワークで勝利した全国切符でしたね。
その後、体育教師を目指し、日本体育大学(以降:日体大)へ進学しました。
―日体大は体育教師を目指すためだったんですね。数ある選択肢の中、なぜ体育教師を目指したのでしょうか?
小さい時からの夢・目標です。
両親が体育教師ということと、ずっとスポーツをやってきたので体育教師以外はあんまり考えてなかったですね。
ビジネスマンになるビジョンが一切浮かばなかったんですよ。体育教師は自然の流れかなと思います。
都立駒場高校も体育教師を目指すために入学しました。元々、教員を養成する学校で、保健体育学科があり1日2時間体育の授業がありました。
おそらく、筋肉と骨の名前を覚えている高校生はなかなかいなかったと思いますよ(笑)
―珍しい高校生ですね(笑)大学はサッカー部に所属していたんですか?
大学入学時は全くやるつもりがなかったんですが、日体大では部活に入る人が多く、流れでサッカー部に入学しました。
当時の日体大サッカー部は関東1部のカテゴリーに所属していて、部員は200名いました。
正直なところ、「体を動かしたい」くらいだった僕はトップチームで頑張るぞ!という勢いもなく、仲間とサッカーして、合コンして、THE大学生みたいな生活を送っていました。
そんな楽しい生活を送る中、大学三年生に上がる前には休学して、オーストラリアと東南アジアへワーキングホリデーに行き、いろいろと遊びや学びを経験しました。
充実したキャンパスライフでしたね。ただ、海外で過ごす中、残りの大学生活のことを考えていました。
そこで至った結論が、残りの2年は真面目にサッカーをやろうと考えたんです。本気でサッカーができるのは残りの期間だけだと。
帰国は、お願いしてサッカー部へ再度入部しました。復帰してみるとA~C15までチームが分かれていました。もちろん、僕は一番下のチームからスタートです。
1年間かけて体力を戻して、C1まで登り詰めました。
その時、帰り道に事故に遭いました。
部活後、バイクで帰っている途中バランスを崩してガードレールに足をぶつけてしまったんです。
―サッカーが楽しくなり、調子が上がってきた矢先の出来事だったんですね。
本当にそんな感じですね。久しぶりに頑張って、残りの自分のサッカー人生を燃やし尽くそうと思っていた矢先でした・・・。
悔しさ悲しさもありましたが、人並みくらいかなと思います。
さすがに足を切断する時には、頭に「もうサッカーできないな」とよぎりましたけど、なんとなく、しょうがないかな・・・みたいな諦観でしたね。
パラスポーツとの出会いのきっかけは車いすバスケだった
―その後、車いすバスケットボール(以下:車いすバスケ)を始められたとお聞きしました。どういった出逢いだったんですか?

大学4年生の後期に障がい者スポーツのゼミに入った友人から車いすバスケを紹介してもらいました。
日体大ということもあり、スポーツに関する研究室やゼミが多くあるんです。
はじめて経験する車いすバスケは楽しかったという思いはありました。ただ、既に病院は退院していたんですが、膝の骨折が完治しておらず足が腫れてしまい、その後、練習にはいかなくなりました。
―しばらく、スポーツと離れるんですね。
そうですね。大学4年生なので就職活動をはじめました。
体育教師を目指し、義足で教育実習を経験しましたが、その時に「どうしようかな」と感じて、一般企業へ進むことを考えました。
ただ、スポーツに関係のない企業におけるビジネスマンとしてのビジョンは全くなく、ナイキかアディダスしかないと思い、2社へ連絡を入れました。
ナイキは新卒採用しておらず選択肢はなくなりました。続いて、アディダスに連絡を入れたところ、最初は採用していないことを言われたんですが、障がい者手帳を持っていることを告げると、障がい者雇用を行っているということで選考へ進むことができ、内定をいただくことができました。
社会人としてバリバリの営業マンを目指してチャレンジしようと思いました。
当時、アディダスジャパンは店舗研修で2か月間のショップ店員を経験しました。
思い描いていた仕事とのギャップがあり仕事で悩んでいる時に、勤務後に何かできることを探そうと思い、ネットでいろいろと調べたんです。
たまたま、会社近くに車いすバスケチームを見つけて練習に参加しました。
足も完治しておりバスケをプレーしても足に影響はなく、参加したチームの雰囲気も良く歓迎してくれたこともあり、ハマってしまいましたね。
―たまたまの出会いがその後も車いすバスケの活動に影響するんですね。
その後、働きながら車いすバスケを2年間続けているうちに、もっとうまくなりたいと思うようになりました。
アメリカで車いすバスケのある大学の存在を知り「行くしかない」と思って、イリノイ州へバスケ留学を決意しました。5年間、アメリカでバスケをプレーする事になります。
この5年間、アメリカのスポーツ文化に触れ、いろいろな考えを変えてくれたと思います。

バスケ以外にもソフトボールや陸上、テニスをやってる人がいて、僕もソフトボールをやりたいと思い、車椅子ソフトボール(以下:車椅子ソフト)を始めました。
アメリカ留学後、2年間ヨーロッパで車いすバスケをやり、帰国後に次のスポーツは何をやろうかと考えていた時に、車いすホッケーに誘われチャレンジしてみました。
せっかくなので、誘われるスポーツは全てチャレンジした方がいいなと思い、結果的に経験した競技が増えている感じです。
気になったらやってみる。気付けばいろんなスポーツに挑戦をしていた。
―堀江さんと言えば、いろいろなスポーツで活躍されているイメージがあります。
いろいろチャレンジしてますね(笑)
体を動かすことが好きですし、スポーツを通して得られる人間関係、仲間や友達だったり、勝ち負けや、できなかったことができるようになったりと、スポーツを通して学んだり経験できるようなことがたくさんあるからチャレンジしたくなりますね。
アメリカへ行くまでは考えたこともありませんでしたが、日本人は一つのスポーツだけをやることが当たり前の認識がありますよね。
でも、一つの競技を極めるだけがスポーツじゃないと感じました。
身体の使い方、人間関係など、スポーツから学ぶことが本当に多いと思います。
僕も小さい時に野球かサッカーを選ぶ事がありました。結果としてサッカーを選びましたが、両方やっていたらどうなっているのかなと想像することがありますよ。
日本もいろんなスポーツにチャレンジする文化が広まればいいなと思います。
―様々なパラスポーツの中で共通する魅力はどういったところでしょう?
スポーツとしての魅力は、一般的なスポーツとパラスポーツとで分けて考える必要がないと思っています。
ただ、パラスポーツは障がいを持つ人ではできないことに、工夫を加えてできるようにしていることは魅力であり、特徴だと思います。
例えば、車いすのような道具を使い、競技として成り立たせるために工夫を入れなければいけません。
パラスポーツは別名『アダプテッド・スポーツ』と呼ばれていて、道具の工夫・加工を行いできないことを乗り越えることを体現しているのがパラスポーツです。

もう一つの魅力は、競技によって、健常者や障がい者の隔たりなく、一緒にできることも魅力ですね。
バスケや車椅子ソフトのような競技は、健常者と障がい者がともにプレーする競技です。
皆さんも、例えばケガや病気により車いすになった友人とまた一緒にスポーツを楽しむことが出来ます。
同じ目線で同じ経験が「一緒に」出来ることは嬉しいですよね。
―同じ経験ができることは貴重な経験ですね。パラスポーツの課題はありますでしょうか?
競技としての成熟度や組織づくりの問題や、普及やマーケティングなどパラスポーツの盛り上げについての課題、コーチング育成、選手発掘など様々な問題があると思います。
障がい者の人数は限られているので、難しい問題だと思いますね。
僕は一つの競技だけではなく、いくつか競技を掛け持ちしてもいいと思っています。
例えば、バスケと野球を取り組む人がいれば、バスケと野球の競技人口が増えますよね。
実際、アメリカでは、高校ではバスケ、野球、アメフト、陸上などのスポーツを掛け持ちしていたり、神様マイケルジョーダンも野球でMLBに挑戦するほどの腕前を持っているとお聞きしますから。
―確かにそうですね。他競技の人口を取り入れることできますね。
なので、マイナースポーツほど、色んな競技を取り組んでもらった方がいいと思います。
受け入れ側も最初から「真剣にやってくれ」や「本気で取り組んでくれ」というスタンスではなく、「まず体験して楽しんで!」のような受け入れを行った方がいいと思いますね。
―パラスポーツでは、様々な器具が必要となります。費用面でもパラスポーツ普及に向けて、ハードルになると思います。
そうですね。そこもハードルの一つですね。
車いすバスケの場合、自分に合った競技用の車いすを作らなきゃいけないので、僕も40万円くらいで購入しました。
でも、スポーツをするうえで仕方がないと思うんです。
野球、アメフトなど、道具が必要なスポーツはたくさんあります。
スポーツは誰でもできると思いますが、スポーツをすることは価値のあることで、お金をかけてスポーツをすることは、スポーツの価値を高めるために必要なことだと思うんです。
ただ、子どもの場合は大変ですよね。身体が大きくなるので新しい車いすなど買い替えないといけないですから。
今後は、子どもがスポーツをする環境をサポートできるようなことをしていきたいと思います。
客観的に見た堀江航とは ~堀江さん×下川さんの2名にインタビュー~

下川 友暉(しもかわ ともき):(以下:=)スポーツフィールド社員。大学時代に堀江さんと出会い、堀江さんとともに車椅子ソフトの普及活動を務める。
-堀江さんは下川さんと一緒に車椅子ソフトの普及に携わっておりますが、お二人はどのような出会いだったのでしょうか?
僕らは車椅子ソフトを通して知り合いました。7年くらい前に、当時、下川さんがいた北九州市立大学へ講義で訪問したことがきっかけですね。
=そうですね!堀江さんはイリノイ大学で修士課程を、日体大大学院で博士課程も取得されており、更に教員免許を持つパラアスリートがゲストとしていらっしゃるとお聞きして講義を受けました。
北九州市立大学では地域創成学部という地域を活性化させる活動を行う学部があり、僕は障がい者スポーツを通じて地域活性化を目指すゼミを専攻しました。
いろいろな障がい者スポーツを経験する中、堀江さんがアメリカから持ってきた車椅子ソフトの活動に賛同して、北九州を車椅子ソフトで活性化しようとプロジェクトが始まりました。
―最初、堀江さんとお会いした時はどんな印象でしたか?
=義足で講義を行いますし、スポーツもする姿を見て、正直驚きました。
それまでは、障がいについて無知だったので、勝手な偏見でマイナスなイメージがありました。ただ、堀江さんから「障がい者も健常者も関係ない」みたいなお話があったことを覚えています。
―私もインタビューを通じて、堀江さんの温かい雰囲気を感じています。堀江さん、車椅子ソフトは障がい者と健常者が一緒に行えるスポーツですが、魅力はどのようなところでしょうか?
同じフィールドで同じ車いすに乗って試合することで、同じ経験が出来ることがとても魅力に感じます。
下川さんは野球部出身で打てるし、肩も強いので活躍するんですよ。ただ、始めた当初は車いすの扱いに慣れていなくて、守備はひどかったですね(笑)
ただ、努力を重ねて、4年生の時は日本選手権で優勝しました。練習すればするほど、上手になるのもの車椅子ソフトの魅力かなと思います。
=普段、障がいを持つ方々の感覚を体験する機会は少ないと思います。障がい者スポーツを行うことで、自分にはできないことや、障がい者が不便と感じることも経験できると思います。
一緒にスポーツをすることで、障がい者、健常者がお互いに理解し、スポーツを通じたコミュニティーが築けるんじゃないかなと思います。
―スポーツを通じたコミュニケーションは障がい者、健常者の壁を越えて、お互いが尊敬し合う世界を作れるかもしれませんね。堀江さんの最初の印象をお聞きしましたが、お付き合いが増えた中で思う堀江さんはどんな人でしょうか?
=自分の選んだ道を正解にする人ですし、どんなことでもチャレンジする姿勢があると思います。
足を切断しようが、スポーツで負けようが、自分の体験を全てプラスに捉えていますし、マイナスの感情はほとんどないのかなと思います。
僕は物忘れがひどくて嫌なことはすぐに忘れるタイプです(笑)
=だからこそ、堀江さんのような方がいることを伝えていきたいですし、スポーツを通じてお互いが理解し合う環境ができることを理解してもらいたいです。
パラスポーツへの想い
―堀江さんはパラスポーツの普及活動を行っていると思います。どのような想いで取り組んでいるのでしょうか?
スポーツの価値そのものも上げていきたいですし、単純にスポーツの楽しさをもっと知りたいと思っています。
また、バラスポーツを広めることで障がいを持つ人が、スポーツをすることを諦めることなく楽しむ機会を作ることができればいいなという想いで行っています。

―堀江さんが想うスポーツの価値や可能性は何でしょうか?
チャレンジする気持ちや、うまくなりたいと思う向上心、諦めない気持ちなど多くのことを、スポーツを通して養うことができると思います。
あとは心身ともに健康でいるためにスポーツは大切です。身体を動かすことが楽しいこと、素敵なことだという文化を広げていけばいいと思いますね。
―最後の質問になります。様々な活動を行っている堀江さんですが、今後はどのような活動を行っていくのでしょうか?
今までは競技に比重を置いてきたんですが、歳を重ねる中で競技者というよりも普及などに重きをおいて活動していく時期なのかなと思っています。
練習や試合をする競技場や施設もまだまだ少ないと思いますし、もっとスポーツを広げていきたいなと思いますね。
特に、障がいを持つ子どもたちに、スポーツを経験する機会を作っていきたいです。
一昔前までは障害を持った子どもがスポーツすることを諦めてしまうことがあるとお聞きしました。
ただ、東京2020がメディアに取り上げられて、多くの方に知ってもらえるチャンスが増えたことでパラスポーツへの理解が浸透していると感じます。
最近、街を歩くときに、車いすの方を見かけたら名刺を渡すことを普段からやっています。
前は「何この変な人・・・」みたいな感じだったんですが、最近は興味を示してくれるようになりました。
東京2020は大きな影響を与えていると思います。このチャンスを機にもっとパラスポーツを知ってもらいたいですね。
―堀江さんもパラカヌーの代表を目指して活動されています。パラリンピックの会場で堀江さんが活躍している姿を見たいです。
新型コロナの影響があり、先がどうなるかわかりませんが、可能性がある限り頑張ろうと思います。

今までたくさんのスポーツを経験しましたが、僕のチャレンジを通して「誰でもチャレンジすれば、チャンスがある」ことを見せたいと思っています。
僕がチャレンジすることで良い意味でパラリンピックへのハードルを下げることができればなと思いますね。
スポーツは勇気や夢を与えるといいますが、僕はそんな偉そうな気持ちは無くて、素直にスポーツを楽しんでもらえればいいなと考えています。
ただ、僕の姿を見て、オリンピック、パラリンピックを目指す人が出てきたら嬉しいですけどね。
―堀江さん、ありがとうございました!