社員インタビュー:瀬尾 光

現在、体育会事業部門(新卒)にて体育会学生の就職支援を行う。昨年4月より、時短勤務を取り入れ、スポーツフィールドの社員として働く一方で、新体操の指導者としても活躍中。“会社員×指導者”として第一線で活躍する社員の一人である。


‣新体操との出会い

‣向き合い方・考え方が変わった高校時代

‣4年間優勝以外はあり得なかった大学時代

‣大学卒業後は夢であった教員の道へ

‣再び指導者の道へ

‣新型コロナウイルスの影響/子供たちの変化

‣会社員×指導者の両立/相乗効果

‣今後実現したいこと


‣新体操との出会い

-これまでの競技歴を教えてください。

母親がクラシックバレエをしていた関係で2歳からクラシックバレエを始めました。

小学校1年生のときに家に届いた新体操のクラブチームのチラシがきっかけで新体操に出会い、今指導に携わっているクラブチームに入り、中学校卒業まで所属していました。

小学校6年生までクラシックバレエと新体操、両方続けていました。

‣新体操との向き合い方・考え方が変わった高校時代

-学校の部活動に所属したのは高校からだったんですね。強豪校に進学されたのでしょうか?

実は私自身、小学校・中学校は成績も県内大会止まりでそこまで成績を残している訳ではないのです。

進路も当時兵庫県内で16連覇している高校を志望していたのですが、落ちてしまいました。

併願していた須磨ノ浦高校から無事合格を貰えたのでホッとしていましたが、当時は新体操を続ける気持ちはほぼありませんでした。

-入学時は新体操は続けないつもりだったのですね。そこからなぜ入部することになったのですか?

新体操部の先生に「いつ練習くるの?」と電話をいただいたのですが、緊張から咄嗟に、「いつでも大丈夫です!」と返答してしまったのがきっかけで、結局入学前から新体操部の練習に参加していました。

実は、1年生の6月の県総体で60人ほど出ていた個人の部に出場したのですが、最下位から3番目で…。忘れもしない最悪のデビュー戦です(笑)

当時は生活態度で先生方から指導をいただくことも多く、そういうのが全て演技に表れていたのだと思います。ですが、その時、熱心に向き合い続けてくださった顧問と担任の先生のおかげで、新体操への向き合い方や考え方が変わっていきました。

-入部当初と比べ、目標への意識などにも変化があったのではないでしょうか?

“16連覇の高校に勝ちたい”

“新体操を続けるきっかけをくれた顧問の先生に恩返しをしたい”

“このチームで勝ちたい”

という気持ちがどんどん強くなってきました。

-そこからチームはどのように変化していったのでしょうか?

人数も少なく、経験も浅いチームだったのですが、チームで“顧問の先生をインターハイに連れて行く”という目標を掲げ、全員で目標を意識し、練習に取り組むようになりました。

最後のチャンスでもあった3年生のインターハイ予選直前に、日本で新型インフルエンザが流行し、学内も立ち入り禁止になりました。県予選も本来は2日間かけて開催するものを1日に短縮など、イレギュラーな状況でした。

十分に練習ができなかったのですが、“インターハイ出場”のためにこれまでやってきたので、 “絶対やってやる”という気持ちで本番に挑みました。

結果的に、団体でも個人でも兵庫県大会で優勝し、新体操部として数十年ぶりのインターハイ出場の切符を手に入れることができました。

このインターハイ出場をきっかけに、後輩たちが代々繋いで頑張ってくれていて、今となっては、インターハイ出場の常連校となってきています。

今指導しているクラブチームの卒業生も進学し、活躍してくれていて、歴史が引き継がれていることを嬉しく思います。

‣絶対的女王。4年間優勝以外はあり得なかった大学時代。

-瀬尾さんと言えば…、新体操の名門!東京女子体育大学出身ですね。

インターハイや国体で全国TOPクラスの選手と関わる機会があり、進路の話になりました。その際に、ほとんどの選手が東京女子体育大学に進学するとのことでした。“それなら私も行こうかな~”という感じで大学を決めました(笑)

基本的に試合に出れる人は、個人・団体合わせて14人くらいなのに対して、部員が90人近くいました。1年間全く試合に出られない人が大半の状態でしたね。

-瀬尾さん個人としてはどのような4年間でしたか?

1年生の終わりに、足首の靭帯を切ってしまい、そこで選手生活が一旦止まりました。完全復帰したのは3年生でしたね。

復帰までの道のりで心が新体操から離れそうになった時期もあったのですが、同級生がたくさん選手として活躍していたので、“自分も頑張らないと、ここにきた意味がない”という気持ちが強かったですね。

リハビリ期間は、学生コーチとして練習に関わっていました。復帰後は部内で有志を募ってクラブチームを作り社会人大会に出場し、最後には全日本選手権大会にも出場することができました。

3年生と4年生の時には選手の投票で副主将にも選んでいただいていました。

-名門大学の副主将。プレッシャーは感じていましたか?

チームとしてこの連覇を繋いでいかなければいけない、という責任感がありましたね。試合に出るメンバー、出ないメンバー関係なしにどうすれば90人の大所帯が一つになって、64連覇を取りに行けるかを同級生達とずっと考えていました。

試合に出る選手は、毎朝9時から夜10時まで、時には夜中まで私たちの時は練習をしていました。団体は1演技2分30秒ですが、800mを全力疾走したのと同じくらい体力を使うと言われています。

それを1日50本以上通すような日もあったので、選手たちの大変さは計り知れないです(笑)

”連覇を背負うってこういうことか…”と、強豪校の重みを感じました。だからこそ、試合に出ない部員がどれだけその想いを一緒に背負えるかが重要でした。

結果的にインカレ64連覇を達成できたので、そこで大喜びしたいところなのですが、その後にもユニバーシアード、全日本選手権と実はまだ大会は続いていますし、3,000人規模の観客を動員し、部員全員が躍る発表会も控えていました。

有料チケットの販売や1時間半に渡る演技構成なども全て学生主体で行っていたので、余韻に浸る暇もなかったのが正直なところです(笑)

日本の新体操界で最高峰の大会である全日本選手権では、団体総合と種目別の計3つの優勝があるので、すべて優勝をして、本当の日本一なのです。

私たちの代は、インカレ優勝に加え、全日本選手権でも3つ優勝カップを揃えたので、大学日本一64連覇だけでなく本当の日本一になって引退することができました。

大学卒業後は夢であった教員の道へ

-教員という夢を叶えた後に、転職を考えたきっけかは何だったのでしょうか?

大学卒業後、千葉県の私立の学校で2年間教員を務めました。

転職を決めた理由は、新体操を取っ払った自分で戦ってみたかったことが一番大きいです。

今まで新体操があったから生きてこれたと思っていて、自分から新体操をとった時に何が残るか考えたときに、当時24歳でとても怖くなりました。

-教員から一般企業へ。どのような転職活動をされていたのですか?

教員からの転職は難しいというのは周囲からも言われていましたし、自分が情報収集する中でも感じていました。さらに、学生のとき就活もしていなかったので。とりあえず、場数を踏むしかないと思って、50社くらいエントリーしていました。

複数内定をいただき、そろそろどこかに決めないとと思っていた時にスポーツフィールドの求人を見つけました。

当時内定をもらっていたところは、自分を必要としてくれている場所ではあるかもしれませんが、自分のやりたいことではなかったですね。

そうであれば、“自分のやりたい”と思う仕事内容に挑戦しようと、スポーツフィールドを受けることを決め、無事内定をいただきました。

‣再び指導者の道へ

-出身でもあるクラブチームの指導に携わるようになった経緯は?

仕事にも慣れ始めた頃に、自分の出身であるクラブチームから声をかけていただき、新体操の指導に少し携わるようになりました。

始めは週に1回のお手伝い程度だったのですが、選手が上手くなっていく姿を見ていると、もっとやりたいと思うようになりました。公認コーチや審判の資格も取得し、次は指導者として全国で戦える選手を育てていきたいと考えています。

現在、スポーツフィールドでは、月曜日と木曜日は16時までの時短で勤務をさせていただいています。それ以外の曜日は通常通り働いています。

新体操の方は、週に4日練習に入っており、小学校1年生から中3までの指導に携わっています。

‣新型コロナウイルスの影響

-クラブチームへの新型コロナウイルスの影響はいかがですか?

3月からクラブとしての練習は中止で、みんな自分たちで体育館を取って、個々で練習をしていましたね。4月5月ごろ、本格的に体育館も使用できない状態になったので、オンラインで指導をしていました。

十分な場所がない事や、私自身が動いて見せたり、選手の身体に触れることができないので、言葉だけでの指導の難しさを感じました。

集団で指導を行うこともあれば、一人当たり30分の個別練習を8人連続で行うこともありましたね。今は、体育館は使用できるようになりましたが、様々な対策を取り入れながらスクールを行っています。

-各大会の中止なども出てきていますか?

本当は10月に開催予定だった全日本のジュニアの一番大きな大会は中止となりました。

特に中3にとっては最後のジュニア期です。目標としていただけに、試合が無くなったことは選手・コーチにとっても大きなショックでした。

近畿大会は開催予定なので、その県内予選が7月末に開催され、団体が県1位通過、個人2名が近畿大会の出場権を獲得しました。

その大会も今年は規模縮小のために無観客で、審判の数も減らしての開催でしたね。

又、予選に出場できる選手も本来であれば全員にチャンスがあるのですが、今年は規模縮小に伴い、昨年の県内の強化選手に選ばれていた選手のみとなりました…。

なので、この1年でどれだけ成長した選手がいたとしても、昨年強化選手に選ばれていなければ、予選にすら出場することもできない状態になり、ぶつけどころの無い悔しさでいっぱいでした。

‣自粛期間での子供たちの変化

-活動の自粛期間、子供たちの様子に変化はありましたか?

直接会えないことで、少しずつ子供たちの気持ちが落ちていたのを感じていましたね。

普段は「〇月の大会に向けて練習がんばる!」など、一人一人目標を持って取り組んできた子供たちが、いきなりその場を奪われてしまい、「何のために新体操をやっているんだろう?」と感じ始めている様子が伺えました。

そういった状況も踏まえ、子供たちのメンタル面のサポートがコロナの影響で重要だとかんじましたね。

少しずつ、体育館が使えるようになったり、中止になってしまった大きな大会の代わりに出来た演技会や中止にならずに延期となっている大会もあるので、今出られるチャンスがある試合は全てベストを尽くせるように。と、選手たちもモチベーションを高く取り組んでくれています。

-自粛期間が子供たちにとって、プラスに働いたと感じることはありましたか?

皆で集まって練習ができない自粛期間においては、「自主性」が一人一人に求められた期間だったと思います。先生たちが見ていないところでどれだけ自主的に練習をしていたかは、練習が再開した時の体や動きをみれば一人一人すぐわかりましたね。

また、新体操は体重管理も難しい競技なので、自粛期間中の自己管理も重要でした。そんな中で、多くの子供たちが自粛期間に自主的に行動していたんだろうな、と成長を感じられましたね。

‣指導者として大切にしていること

-理想の指導者像はありますか?

選手に近い存在でありたいと思っています。自身の選手時代を振り返っても、「怒られてもついていきたい!」と思える先生は、新体操以外でも自分のことをしっかり見てくれているんだなと感じる先生だったことが影響しています。

練習中は厳しいことも言いますが、怒るだけになると、ジュニアの選手たちはどうしても、しんどくなってしまいます。それ以外の時間で何気ない言葉がけは意識していますね。

練習が午後からだったら、「きょうは午前中何してたの?」「最近は何をするのが好きなの?」とか、遠征先だと食事の際に好きな食べ物や嫌いな食べ物を聞いてみたりとか。

そういったことを大切にしつつ、距離感を近くしています。

-子供たちに新体操を通して学んでほしいこと

新体操は魅せる見られる競技なので、新体操はもちろん、それ以外の部分でも人として、どうあるべきか、どう見られているかというのを考えられる人になってほしいですね。

良くも悪くも性格や私生活がダイレクトに演技に表れる競技なので、どんなに技ができたり、能力が高くても心が育たなければ、良い結果を残し続けることはできないと思っています。

誰からも愛され、応援される選手であってほしいです。

後は、今の社会情勢的にこれはダメ。あれはダメ。など、制限がされることが多い中で、自分の考えをしっかり持って、自分で良いか悪いか判断でき、前に進んでいける人に新体操を通してなってほしいなと思っています。

-指導者として身に付いた力で仕事に活きていること

最近の子供たちは口数や自分から話すことも少なく、なかなか思っていることを口には出せないことが多いのですが、その分表情や態度に出すことが多いと感じます。なので、子供たちのちょっとした態度や表情から心境を読み取るようにしています。

その力が仕事面でも実は活きています。(普段就職支援をする対象の)大学生はもうある程度大人なので、良くも悪くも空気が読めます。

そのため、私がエージェントとして面談で話す中でも、表面上は「そう思います!」と“空気を読んで“反応してくれている学生もいるかもしれません。

そんな中で、細かな表情の変化に気づくことで、「本当はこう思っているんだろうな…」という心の奥底をちゃんと拾いにいかなければいと思うようになりましたね。

‣会社員×指導者の両立。相乗効果。

-両方やっていることがどのような相乗効果をもたらしていますか?

どちらかが上手くいっていない時に、片方のことしか考えずにずっと沈んでいるのではなく、二つの頑張る場所があることは自分には合っていますし、どちらもやっていて良かったと思うところですね。

また、自分がこういう働き方をしているからこそ学生に伝えられることがあります。競技を続けたいという学生も多いのですが、指導者になりたいという学生も多くいます。

そんな学生に、実現するために何をする必要があるか、どんな努力をするべきか、というのを実際に体現している身として伝えることが出来ています。

-社内の理解はいかがですか?

とてもあります。ただ、社内の理解をどう感じるかも自分の考え方次第だなと指導者との両立を始めて1年経って思いますね。

時短勤務を始めて、仕事面での成果がなかなか上がらなかったり、業務の抜け漏れがあったりとかして、会社の仕事に支障が出ていると感じる時期がありました。

会社やチームのメンバーに対して「申し訳ない」とばかり思っていたり、「どう思われているんだろう」という社内の目を気にしている自分がいました。自分の好きなことをやらせてもらっていながら、誰かを頼ることに罪悪感を感じていたからだと思います。

ですが、上司の吉浦さんに相談をしたときに、「瀬尾がそうやって思っていることがクラブチームの選手たちに申し訳ないと思わないか?」と言われました。

どっちもプロとしてやっているのだから、「申し訳ない」ではなく、自分のやっていることにもっと誇りを持った方が良いと言っていただきました。

そこから両面でプロという自覚を持つようになりました。

今では試合の引率でお休みをいただくことも多いですが、いつもその前後には社員から”がんばってきて!”と送り出してもらったり、”試合どうだった?”と声をかけてもらえることも増えました。

‣今後実現したいこと

-瀬尾さんが今後実現したいことは?

私が変えていきたいと思っていることは指導者の在り方です。指導者を仕事にすることに対して、それだけで生計を立てていくのは「無理だな」「難しいな」というのが今の日本の現状だと思います。

様々な競技で個人事業主として小さいクラブを持っていたり、教員をしながら指導者を続けるというケースはよく聞きますが、会社員をしながら指導をするというケースは事例が少なく、“指導者”という道を断念する人も多いのではないでしょうか。

しかし、「会社員×指導者」という働き方が出来ることを実現し、学生や子供たちに伝えていくことで、もっと指導者の道を選択する人は増えるだろうし、今後の日本のスポーツの力や価値は伸びていくと考えています。

また、どちらもやることの相乗効果をそれぞれの場所で発揮することで、多くの会社でそういった働き方が認められるようになったり、同じように挑戦する人が増えていくと考えています。

-読んでいる人に伝えたいメッセージ

まずは、自分がやってみたいと思ったことに正直になることを伝えたいですね。

すぐに実現することは難しかったとしても、自分がどうなれば実現できるのか、社内からどのような理解を得ることができれば実現できるのか、など出来る工夫をしてほしいですね。そして、発信すれば、必ず周囲には協力してくれる人はいると思います。

社員の中でも“指導者をやりたいと考えている”と何人かから話しを聞いています。なので、指導者や働き方のこと、両立についての質問などあればいつでも相談してください。

スポーツフィールドの指導者と仕事を両立する第一人者として、今後とも両面で結果を残していけるよう頑張ります!今後ともよろしくお願い致します。


Popular Articles

人気の記事

スポーツフィールドは、
アスリートの皆さんの
就職・転職を
応援しています