インタビュイー

中尾 有沙(なかお ありさ)
小学4年生から陸上競技を始め、三段跳びでは熊本県10連覇の偉業を達成。第 99 回日本陸上競技選手権大会(2015年)にて優勝。2016年1月にトレーニング中の事故により脊髄を損傷。現在は車いす陸上でパラリンピックを目指す。

―中尾さんお会いできることを楽しみにしておりました!よろしくお願いいたします。

中尾さんが大学を卒業される時は就職氷河期でしたよね?

そうですね。大学で就活講座がありました。私も、自分探しのように就職活動を行っていましたが、「本当に就職がしたいのか」を自問自答した結果、陸上をすることを決意して大学院へ進学しました。大学院時代は競技に集中することが出来たので記録が伸びましたね。

その後、大学院の卒業が近づく中で進路を考えましたが、熊本では陸上を続けながら就職できる先が無かったので、教授に相談をして大学院へ4年間通いました。当時、陸上を続けるために大学院へ4年間通う先輩も数人いましたが、まさか、私もその道を歩むとは考えてもいませんでしたね(笑)結局、8年間も学生生活を送りました。

―長い学生生活でしたね。その後は?

就職先は、株式会社祐和會がアスリート雇用を始めたので、仕事しながら陸上競技を続ける環境があることを知り、入社しました。

―中尾さんはもともと三段跳び選手ですよね?競技をはじめたのはいつからですか?

小学校4年生くらいからやり始めましたが、親が陸上をやっていたのでもっと小さい頃から競技場にいました。

―いろいろな情報を拝見していると輝かしい記録ばかりですよね。陸上が好きなんですね。

幅跳び、三段跳びでは熊本県で10連覇をしていますが、長く続けられた理由は「好き」ということと、「それしかできない」というどちらともあると思います。

―私も幼少期から大学卒業までテニスをやっていましたが、競技としては燃え尽き、学生生活の終了と同時に引退しました。

やりすぎると燃え尽きてしまう気がしますね。私の場合、そこまで燃え尽きない程度に陸上を続けていました。高校はインターハイ出場くらいのレベルで、大学の途中から記録が伸びましたが、全国入賞くらいのところで満足していました。1番を獲るまでは極められていなかったです。

一方で年齢を重ね、27歳になると引退の文字が頭によぎるようになりました。

「あと少ししかできない」と思っていたタイミングで全国優勝することができました。

―スポーツは努力を重ねた上での実力があることはもちろん、運もあると思います。これまでのお話を聞いていると、最後に開花するための流れだったのかなと勝手ながら感じてしまいました。

運は良かった方だと思います。高校までは幅とび選手でした。高校3年から三段跳びをはじめましたが、同じタイミングで国体種目になって、入賞することができました。

大学でも三段跳びを選択し、競技力と記録を伸ばして行けました。今の時代だったら諦めていたかもしれません。

―競技力は常に進化を続けていくので記録は塗り替えられますよね。中尾さんは競技を続ける中で事故に遭い、身体が不自由になったと伺いました。

そうです。2015年の日本選手権で優勝した半年後の2016年1月に大きなケガをしました。

それまでの競技生活の中で引退を考えることもありましたが、1番になることができたので、次も1番になりたいという気持ちと、オリンピックを目指したいという気持ちが湧いてチャレンジしたいと思っていました。優勝後は追われる立場で焦りがありましたが、日本選抜の合宿に参加するなどの刺激を受けながら、日々を過ごしていました。

そんな中、冬のシーズン中にいつも通り150kgでスクワットを行ったときに、骨盤を屈曲させたところ、後ろに力が抜けたような感じなったと同時に「パキパキパキ」と自分の中で音が鳴り響きました。

―音が鳴る・・・。靭帯が切れるときは「バチン」と音が聞こえると言いますよね。私も以前靭帯を断裂したことがあります。

周りに聞こえていたかわかりませんが、とにかく音が響いたんです。仰向けで膝を「立てた」状態で運ばれていたんですが、途中、自分の足を見たら「パタリ」と膝が倒れていて足に力が入らないことがわかりました。

脊髄損傷は聞いたことがありましたが、自分に結びつくことがなかったので、当時は「あれ、おかしいな」と思いながら運ばれました。

―脊髄損傷は、大きな衝撃や打撃などでなることが多いとお聞きします。

そうですね。私のほかにも、同じ車いす陸上をやっている選手の中で、トレーニング中のケガで不自由になってしまった人は私の知る限りでも数人いまして、最近ケガをした選手は私と全く同じ境遇で、陸上出身で150kgのスクワットを持ち上げた際に同じような感覚でケガをしたと言っていました。

ケガをした当初はショックよりもアスリートとして活動していたのに、こんな形でケガをしてしまったことが本当に恥ずかしかったです。

ウエイトトレーニングなど、最初は正しいことを習うのに、いろんな情報を聞く中で自分勝手に解釈をしていました。周囲からケガの事で責められなかったのが救いでしたね。

―病院でお医者様からの宣告を聞かれた時に「自分の現実をそのまま受け止めることができた」とお聞きしました。正直、すごい事だと思います。

検査に4,5時間かかりましたが、その間に「この先どうなるんだろう」「治るのかな」とかいろいろ考えていました。

いざ、手術する時に、主治医の先生から「脊髄は今の医療では修復できない、これからリハビリをすることになりますが、車椅子で生活をする為のリハビリになります。」と言われました。

受け止められたというよりは受け止めるしかなかったというか、「歩いたり、競技に戻ることはできないんだ」と、ただそれだけでした。

あと、「周りはどう思うのかな」というのはすごく気になりました。 

親も今まで一緒に陸上をしてきて元気な姿ばかり見ていたのに、車椅子生活になることをどう思うのか、この先、会社はどうするか、アスリートの仲間には合わせる顔がないなとか考えました。

でも、悔やんでしまうと、結局、自分しか責めるところがないじゃないですか。「歩きたい」という気持ちも早い段階でなくなりました。「歩きたい」と思うと、叶わないものを目指さなければならないので自分を苦しめることになる。なので、自分を苦しめない方向に考えるようにしていました。気持ちの切り替えは上手くできたと思います。

―気持ちを切り替えることって得意、不得意があると思いますが…

今までのお話を伺っている中でも、全部プラスの解釈に変える様なお言葉を中尾さんから頂いているのですが、中尾さんの常に前向きな性格が影響しているように勝手ながら感じています。

プラスに考えようという思考は、競技をしていた時が影響していると思います。

生活の中ではどちらかというとウジウジするタイプなんですけど、うまく行かない時に「うまく出来なかった」と振り返っても何も変わらなくて、「次の大会で何が出来るか」を考える方が大事だと、社会人になって気づき始めました。 たぶん、その思考がケガにも影響していると思います。終わったことを悔やんでもどうしようもないので。

―“変えられないものを変えるより、できることを前に進める”ということですか。

それはスポーツをやっていなかったら、陸上をやっていなかったら、恐らくそんな風には思えないですね。

―ずっと続けてきた陸上が中尾さんを支えてくれたんですね。

 でも、陸上でケガしたんですけどね(笑)

―中尾さんが今後、目指す目標は何ですか?

パラリンピックです。ケガのあとに始めた車いす陸上が、今年は記録も伸びて楽しいなって思えるようになってきたので。

今年1年をかけて2020パラリンピックへ行くかもしれないですし、2020を通り越してパリに向けてのことになるかもしれませんが、パラリンピックを視野に取り組みたいと思っています。

今までやってきた競技と切り離して考えたくなくて、三段跳びで学んできたことを活用しながらこの競技人生を送っていきたいなと思っています。

それが次の世代に何かを伝える時に活きるのかなと。この競技でしっかり自分ができる最大限のことをやることが次の世代に伝わると思うし、途中で諦めてしまうとできないと思うんですよね。「やりきった、頑張った」と思えるところまでしっかりやりたいなと思います。

いろんな人に心配をかけたし、周りがいなかったら今の私はいないと思います。そういう人に「頑張ってますよ!」と、今の私を知ってもらうことにも繋がると思っているので。 

―日本選手権優勝時など、陸上で応援して下さった方、また、今回の事故をきっかけに違う角度から応援してくださる方が増えたと思いますが、得られたものはありますか?

ケガをする前、当たり前に競技をしていたときは、「応援してくれる人のおかげで頑張れているな」とありがたさは感じてはいたものの、そこまで腹落ちしていなかったんですね。

ところがケガをしたら、私以上に心配してくれる人がたくさんいて、その人たちが車いす陸上競技も後押ししてくれました。皆さんの応援が自分の自信につながり、「ここにいて、頑張っていいんだ」ということを後押ししてもらっています。絆が形となって見えるようになった気がします。

―スポーツ選手の間で有名な話で、退いた時に周りにいる人が本物だと言われることがありますが、中尾さんの場合は大きなケガをされた後に、周りにいらっしゃる方が増えていますよね。

―オリンピック・パラリンピックはどう考えていますか?

東京オリンピック・パラリンピックの後も盛り上がり続けてほしいです。

選手としても2020が全てじゃないと考えているので。頑張ろうと思っている人も多くいると思うんですけど、2020が終わりではないのに、「2020年に向けてやっているんでしょ」と言われることがあります。2020以降も考えて練習をしていますが、どうしても目線は2020に向けられてしまうことがあるので、2020で悩んでいるアスリートもいると思います。

―期待が大きい分、声をかけてしまうんですね。中尾さんは残りの日数で選考があるんですか?

そうですね。

一つの目標として、パラリンピック出場を目指してみんな取り組んでいます。私も1つでも順位を上げられるように色んな大会に出場しています。

―毎日が戦いですね。

ランキングに反映される大会は国内では3つ、海外へ行くといくつかありますが、全て参加できないので、年間5回ぐらいしかチャンスがありません。 

―そうなると精神力も必要ですね。記録を残さないといけない、アピールのチャンスが少なければ少ないほど重圧がかかります。

数少ないチャンスを最大限モノにしないといけないです。

先日スイスへ初めての海外遠征へ行きました。スイスのトラックは走りやすく記録が出やすいことで有名で、記録が出れば世界ランキングへ反映されるので、願うように出場しました。

―記録の出やすい大会に出場するということも大切なのですね。

パラ陸上の日本選手権の場合、通常の陸上大会ほど大きな大会ではないので、同じ時期に開催されていた日本選手権よりもスイスの大会へ行っていました。

でも、パラ陸上を始めた当初は「何で日本選手権に出場しないんだろう」と思いましたね。

―そうですよね。名前だけを聞いたら日本選手権の方が大切だと思ってしまいますね。

同じ陸上競技なのに、パラ陸上は違うなと悩みながら行っています。

―出場する大会によってランキングに影響する場合、チャンスのある方に懸けますよね。

同じタイミングで開催された日本選手権で、私よりもはるかに実力があるような選手たちが私のスイスで走ったタイムよりも記録が出ていなかったりしたので、「そういうことなんだ」と思いました。

思い切ることで、世界も広がりますね。

―それはすごく素敵な言葉ですね。競技だけではなく、生活でも思い切りやってみることが大切ですよね。

―最後に今競技を頑張っている学生に向けてメッセージをお願いします。

諦めるタイミングを乗り越えて、「もうこれ以上はできない」ということを味わうことが大事で、自分中の「ここまでやったんだ」という自信になります。

他の仕事や家庭などで活かせる自分の魅力を引き出すためにも、できることは全力でがむしゃらにやったらいいと思います。

ただ、 「言われたことやる」というよりは自分の事を考えながら、自分と対話をすることが大事だなと思います。

―本当に大切なことですよね。自分で考えて行動を起こさないと身につかないですから。

それに気づくのは、普通の場合、20歳を超えたあたりから気付くことが多いと思います。ただ、スポーツの中では自分と会話をして、考えることができます。

―スポーツが出来る環境に感謝をしなければいけませんね。 

自分と会話して、自分の考えを持つようになるまでは大変ですが…

歳を重ねてからでしかできないことを、スポーツを通じて味わってほしいと思います。

―中尾さんありがとうございました。中尾さんとお話してパワーをもらえました!パラリンピックで頑張っている姿を楽しみにしていますね!

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