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藤田佑平

北海道旭川市出身。スキー一家で育ち、4歳からスキーを始める。高校、大学と輝かしい成績を納め、2015年からガイドスキーヤーとして活躍。ペアは平昌パラリンピックへ出場した高村和人(たかむら かずと)さん。

2019年4月よりスポーツフィールドの仲間となり、競技と仕事の両立(デュアルキャリア)を体現している。

2019年4月に新たにスポーツフィールドの一員となった藤田佑平さん。
彼はパラリンピックの競技である『パラノルディックスキー』のガイドとして活動をしております。
藤田さんとは一体どんな経歴をもっているのか、また、取り組んでいるスポーツはどのようなものなのかお聞きしました!
―藤田さん、よろしくお願いします。なんか変に緊張しますね(笑)改めてですが、自己紹介をお願いできますか?
はい・・・(緊張した面持ち)、僕も緊張しています・・・。
では。2019年4月1日スポーツフィールドへ入社しました、藤田佑平と申します。北海道旭川市出身で、両親がアルペンスキープレーヤーで物心ついた時からスキーをやっていました。
母は大学から、父は幼い頃からずっとスキーをやっていて、大学でクロスカントリーとジャンプを始めました。2人兄がいまして、クロスカントリースキーをやっています。スキー一家ですね。
―ありがとうございます。なんかお互い固いですね・・・(笑)。リラックスしていきましょう。
いつからスキーを本格的に始めましたか?
4歳の頃から親の影響でスキーを始めさせられました。なので、一時期スキーが嫌いになってサッカーをやっていたんです。ただ、小学6年生の時に、2人兄がいるんですが2人が出場しているスキーの全国大会を見に行ったことがキッカケで、スキーのクロスカントリーを本格的に始めました。

―ご家族がきっかけですね!中学校から大学まで、過去の成績を教えてください。
中学2年生の時に全国中学校スキー大会で2種目準優勝。高校では、全日本大会で個人5位、リレーでIH杯優勝です。大学は個人学生チャンピオンシップ5位、チームでは全日本の一番大きな大会で天皇杯リレー3位になりました。
―輝かしい成績だ・・・!社会人になってスキーをやろうとは思わなかったですか?
金銭的に負担が大きかったこと、コーチングの勉強を大学院で学びたくて競技者としての第一線から退きました。
―なぜコーチに興味をもちましたか?
自分自身、コーチがいなくて、兄はスキーの選手なのでアドバイスを聞いたり、自分で研究したりしていた中で、コーチングに興味を持ち始めました。中学3年の全国大会準優勝をしたときに「コーチになって日本全体を強くしていこう」という気持ちが生まれました。僕一人が強くなるよりも10人教えて5人強くなった方が日本の為になると思ったので、スポーツコーチングコースがある早稲田大学へ入学をしました。
―早稲田大ではどのような生活でしたか?
スキー漬けの毎日で大変でした。ただ、寮での生活は勉強になりましたし、先輩と一緒に夜まで熱い思いを語り合ったりとおもしろかったです。
―大学卒業後は?
小手指(早稲田大学所沢キャンパスの近く)に住んで大学院に通いました。もともと教えるのが好きだったので、中学生や高校生に教えていて自分の現場的なコーチング能力を磨きながら大学院ではコーチングが何たるかを学びました。

業務中の藤田さん、集中しているところを隠し撮りしちゃいました。

―コーチングは具体的にどういった勉強をするんですか?
バイオメカニクスで体の動きとかを動作解析で分析して、コーチの考えをわかりやすく選手に伝えることや、メンタルの調整方法、トレーニングプログラムの構成の仕方など学びました。
―パラスポーツと出会ったきっかけは?
2012年に片手の選手で金メダリストの新田佳浩さんと話したのがきっかけでパラスポーツを知りました。
本格的にのめりこんでいった出会いは、2015年6月に急に電話がきて、日本障がい者スキー連盟のクロスカントリーチームのヘッドコーチである長濱一年さん。そして、総監督の荒井秀樹さんから「ガイドスキーヤーをやってみないか」と誘われました。すぐに「ぜひ、お願いします」と二つ返事でお答えしました。
当時、ものすごくお金に困っていて学費の一部や生活費をアルバイト代だけでやりくりしていて、10日間もやしだけで過ごすなど困窮した生活を送っていたので・・・。日勤をいただける、合宿もいける、海外へ行ける、コーチも学べるといった、ぼくがやりたいことが叶う環境でした。
―願ったり叶ったりですね!ここで、改めて藤田さんが行っている競技を教えていただけますか?
はい。僕はクロスカントリースキーのガイドスキーヤーをしています。目の情報が少ない方、障がいのある方の伴走者としてゴールまで素早く導くことを行っています。ガイドはマイクとスピーカーを付けて、常にペアへ情報を送っています。個人でスキーを行う以上の体力やフィジカルが必要になるので、練習は厳しくなりましたね(笑)
―二人分の仕事をしなければいけないんですね。
それプラス、「ここでスピード上げていきましょう」とか「フォームが乱れています」などのコーチングや戦術、戦略を伝えています。時には、わざとコースの内側に入って相手を外側に走らせるなど細かい技術・技能が必要になります。
もちろん糸でつながっているわけではないのでパートナーを気にしながら最短距離を導いています。僕がいつも思っていることは「安全に、最高のパフォーマンスを出させるガイドスキーヤー」を目指しています。
―最高のパフォーマンスを「出させる」ことが重要なんですね。
そうですね。それに対して、僕のパフォーマンスが落ちてしまうと、パートナーの選手はそれ以上の力を発揮することはできないので、僕は常に100%の力を常に出し続けなくてはいけないんです。

―パートナーの方はどのような方ですか?
僕のパートナーは高村和人(たかむら かずと)さんです。高村さんの障がい名は「網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)」という徐々に見えなくなる病気です。いつから見えなくなったとかはありませんが、今は光の明暗だけがわかります。
彼がスキーを始めたのは6年前でバイタリティ溢れる方なので「いろんなことに挑戦してみよう」ということがキッカケで始めたようです。もともと荻原健司さんのスキーを見たことと、アルペンスキーも少し経験があったためみたいでスキーのイメージを持っていました。目が見えているときに動きを見ているということはスポーツするときや、動作を覚えたりするときに大きなアドバンテージになるんです。
―高村さんとペアになったのは(出会いは)いつからですか?
2015年8月です。電話をいただいた2か月後にNZでお会いしました。当時は「目が見えないのにスキーをやっている。」というのは率直な印象です。ただ、「こんなに滑れるんだな。まだまだ上を目指せる選手だな」と感じました。
―ペアになり活動の中で苦労したことは?
高村さんは教師なのでコミュニケーションが上手な方です。ですから、最初はうまくやっていましたが、平昌パラリンピックに近づいてくるとペアの中でピリピリした雰囲気がでてきました。
その時に「お互いに思いを腹割って話そう」ということで「アスリートとしてどうなんだ」とか「おまえは障がい者のことを理解しているのか」など本気で意見をぶつけ合いました。そこからはお互いの壁が取れてよい関係を築くことができました。
―お互いを理解するために思いをぶつけたんですね。その後は競技にも影響が出ましたか?
そうですね。信頼関係は薄っぺらなものじゃ築けないですし、現に高村さんからは「藤田くんじゃないとできない」と言われています。僕も高村さんだからガイドスキーヤーを続けられているので本当に信頼し合っています。だからこそ、平昌の切符も手に入れられたと思います。
よく二人で笑いながら「夫婦みたいな関係だよね」と言っています。辛いときは落ち込むし、喧嘩もするし、笑い合うし、ゴールした時はこぶし付き合いながら「おつかれ」と言葉をかけ合いますしお互いが支え合っています。
改めて良いスポーツだと思います。障がい者と健常者が一緒に滑ることなんてなかなかないので。

高村さんを先導する藤田さん

―高村さんとの成績は?
2016年アジアカップ優勝、2018年平昌パラリンピック出場 、2019年札幌W杯6位入賞 しました。平昌パラリンピックに出場したことは最高の思い出です。
努力の賜物ですね。ちなみに、藤田さんはオフは何をしていらっしゃるんですか?
平日は14時まで勤務して練習へ行っています。休日は、リカバリーが基本ですね。あとはお酒が好きなので飲んだり、スポーツを見ることも好きなので何かスポーツを観戦しています。あとは公園でのんびりしています。座っているだけとか(笑)。ただ、結局走ったりしているので動いていますね。
なので、みなさん飲みに連れて行ってください(笑)
―ぜひぜひ行きましょう!あっ、そろそろ練習の時間じゃないですか?
練習頑張ってくださいね。ありがとうございました!

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