今回はJX-ENEOSサンフラワーズで活躍されている『石原愛子選手』と、スポーツフィールドのスタッフである『小林麻衣』、おなじみ広報担当である私上野の3名で対談いたしました。2部構成でお送りいたします。石原選手と小林は高校時代の同級生ということもあり、ざっくばらんにお話をお聞きすることができました!

 

Guest

 

石原 愛子(以降:なし)

JX-ENEOSサンフラワーズに所属するバスケット選手。東京成徳大学高校から、2011年日立ハイテクへ入団。2016年よりJX-ENEOSサンフラワーズへ入団し活躍中。2018-2019シーズンでは前人未到のWリーグ11連覇を達成。ポジションはフォワード。コートネームは「アコ」。

Interviewer

小林 麻衣(以降:小林)

スポーツフィールドのスタッフ。東京成徳大学高校バスケ部出身で石原選手の同級生。ポジションはポイントガード。コートネームは「マイ」。

 

 

―石原さん改めてよろしくお願いします。まず、はじめにバスケットボールを始めたきっかけを教えていただけますか?
よろしくお願いします。私がバスケを始めたのは6歳離れている姉の影響で、小学校4年生の時に始めました。 小さいときから親に連れられて試合を見に行っていたので、当たり前のように「自分もバスケットをやるんだ」という感覚でした。
小学生の時に所属していたのは弱小チームでしたが、人数も多く、「練習頑張ろう」と打ち込んでいたんですけど、なかなか勝ち上がることが難しくて。市内で一つ二つやっと勝てるようなチームで楽しくやっていました。

 

 

一度、中学校入学前に、バスケをやめてテニス部へ入ろうかなと考えた時期もありました。丁度『エースをねらえ』をテレビで見て、「テニスってかっこいい」と思っていたのですが、高校生の姉が出るバスケの試合を見に行った時にすごく刺激を受けて、めちゃめちゃかっこいい、しかもそこに姉がいるとなると「やっぱりバスケなのかな」と思って、そこから今までバスケ一筋ですね。
小林:初めて聞いた!お互いにバスケを始めたきっかけは聞いたことなかったね。
―ちなみに小林さんがバスケを始めたきっかけは?
私は兄と『スラムダンク』の影響です。サッカーをやっていたんですが、あまりおもしろくないなと思っていた時に、兄がバスケをやっていたことと、スラムダンクを読んだ時にものすごい衝撃を受けて「バスケットをやってみたい」と思いました。当時は隣町まで1時間かけてミニバスに通っていました。

 

 

―スラムダンクですか!平成を代表する名作ですよね。お二人の出会いは小学生のときですか?
一度だけ試合したことがありますが、まだ当時はお互いのことを知らなかったですね。全国ミニバス大会を控えた強豪チームが来る試合に、市川・浦安選抜で試合をしました。当時のビデオありますよ(笑)
―当時はまだ知らなかったとのことですが、トッププレイヤー同士はすぐにつながります。いつ頃から面識ができたのですか?
関東選抜の練習の時に初めて喋りました。難しい練習の時に、たまたま麻衣が前にいて、「これってどうやるの?」って話しかけたのが最初ですね。
小林:当時、関東で東京のチーム以外で試合をやるんですけど、私の印象は「なんだこの大きい人!」と思っていました。
―確かに石原さん身長が高いですね。ずっと身長が高かったんですか?
身長は中学生の後半から伸び始めました。中学校に入学した時は164cmくらいで「ちょっと身長大きいね」くらいだったんですが、中学校卒業の時は174cmまで大きくなりました。身長で選抜にも選ばれました!
―お二人はバスケットの名門の『東京成徳大学高校』へ進学されましたよね。当時、入学することをお互いに知っていたんですか?
全然知らなかったです。中学生が練習を体験できる機会が東京成徳にあって、参加した時にお互いに「あっ!」となりました(笑)
―強豪となると厳しい環境があったと思います。思い出のエピソードを教えてください。
みんな部活も勉強もできる文武両道の高校で、推薦入学でも評定平均が求められる学校でした。なので、入学してからきつかったですね(笑)でも、寮生活の人はもっと辛かったと思います。
県外でも通える人は実家から通いますが、時間がかかる人やケガしたときに移動が大変な時は寮に入っていました。同じ部活をしていますが、寮生活の人は環境に変化がないので、気分転換がしにくい点ではかわいそうでした。
小林:私は寮生だったので、毎日泣いていましたね。寮の屋上から見える首都高速を見て「ここをずっと歩いたら家に帰れる。」と毎日思って眺めていました(笑)
―毎日大変そうですね・・・。強豪校の監督は厳しいイメージがありますが、成徳の監督はいかがでしたか?
下坂先生(監督)はめちゃくちゃ怖くて厳しい人でした。指導の仕方も。例えば、リバウンドが取れなかった時は、「そんなんじゃ階段のゴミとか落ちてても見つけられないでしょ!」とか、「後輩が出したパスは先輩なんだから必ず取るでしょ!!」みたいに人間性の部分と合わせて指導される方で、叱り方が独特でユーモアのある先生でした。怒られている本人は必死なんですけど、周りは笑いをこらえるのに必死でしたね。
あとは、汚い手を使うと怒りが頂点になりますね。「卑怯な手は絶対使うな」という教えでした。
ただ、叱るのではなくて、1回目は注意、2回目は次無いよ。3回目は「アウト~!」みたいに自分たちに考えさせるような先生です。
生徒たちは「自分の為」って分かっているから、下坂先生の指導には理解があったと思います。
小林:感情に任せて「怒る」ことは一つもなかったです。今、いろんなことにイライラして手を出してしまう先生とかいますけど、全く違う方でした。他の部活の人たちから先生や監督の機嫌を伺うとか聞きますが、下坂先生は全くなかったですね。
あれだけ厳しかったのに、先生のことを嫌いな人はいないと思います。この前もOB,OG集めて一緒にご飯食べに行きました。
―すばらしい先生ですね。お話しているお二人を見ていると「先生のことが好きなんだな」と感じます。
先生の指導で印象に残っていることがあります。他校と合同練習した時は、他校の生徒に対して私たちから普段の練習メニューを教えさせるんですよ。マンツーマンで、自分が担当した子に全部教えなきゃいけないので、めちゃくちゃ時間かかるんですよ。足のステップとかメニュー一つひとつがとても細かいので。
でも、この経験が一番大きく影響を受けたと思います。教えることで自分も理解できますし伝え方とか学んだと思います。
小林:高校生同士、身長が同じぐらいとかポジションが同じ人とペアになるので、時には年上の方へ教えなければいけないこともあったので私も勉強になりました。インプットしたことをアウトプットすることで、自分ができている、できていないが理解できました。
ー高校生ではめずらしい練習ですね。自分が理解したことを伝えることは今になっても難しいですよね。
あとは、「仲間のために身を粉にして戦え!」と言われた後に、先生に呼ばれて「身を粉にするって漢字で書けるか?調べて持ってこい!」と言われて調べて先生に提出しました。その時に先生からは「身を粉にして頑張るんだ」と強く言われましたね。よく、「5人でやって1つのバスケ」いうことを言われました。

 

小林:プレーではなくて、全員が一人の為に頑張っているのに、全然頑張らない選手にはものすごく厳しいですね。一年生の時に私が原因で先輩が指導されているときに、「お前のためにチームメイトが責任を取ってるんだぞ。」と言われたこと覚えています。自分のミスで周りが迷惑かかることをよく言われました。
ただ、私のミスで50往復ダッシュをすることがあったんですけど、それより以前、先輩がミスした時に「すぐに私のところに来て、『私が全部走ります』とか、そんな気の利いた一言も言えないの?」と先生から言われていたことを思いだして、すぐに先生のところへ行ったんです!でも、「私が全部走ります!」と伝えたら「お前、なに練習さぼろうとしてんだ!」って怒鳴られたことがありました(笑)
―・・・さすが、強豪校。体育会ですね(笑)
成徳に入って、自分の成長になったし、今の私があるのは先生の指導があったおかげだと思います。
石原・小林:でも、あの3年間はもういらないです。
―笑。よっぽどつらかったんですね。

 

後半へ続きます。
https://www.spodge.sports-f.co.jp/2116/

 

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