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松﨑 大地

小学校から高校まで野球部に所属、大学ではテコンドークラブに通い、黒帯習得後、全日本大会に3度出場。陸上自衛隊に入隊、施設科に配属され、施設手として勤務。スポーツフィールドの経営理念に感銘を受け入社。現在でも野球、テコンドー、フットサル、ゴルフ、スノーボードなどあらゆるスポーツを趣味として楽しむ。

~自衛隊時代での経験~
―松﨑さんにインタビューする日を楽しみにしてました。よろしくお願いします。てかまず突っ込みたいのは、松崎さん特技がルービックキューブなんですよね!スポーツ全然関係ないけど、当社を受けた際の履歴書にも書いてたとか。笑 スポーツは何をやっていたんですか?(うちの人たちは、スポーツ歴すごい人が多いからな・・・この質問だけでインタビューの尺がだいぶ持つんだよな・・・
松﨑:野球を高校までやっていて、大学時代からテコンドーを始めました。格闘技がものすごく好きで。K-1の全盛期ということもあって、ジェロム・レ・バンナとかアンディ・フグとかかっこいいなぁって思ってました。人生で一度は格闘技をやろうと決めてたんです。競技としてテコンドーを選んだ理由は、足技がきれいなところですね。あのアンディ・フグのかかと落としとか憧れがあって!時間があれば携帯でテコンドー教室を調べていました。そこから地方大会で優勝して、最終的には後楽園ホールでトーナメント形式の全日本大会に出場しました。
―大学から始めて全日本大会出場。それはすごいですね!
松﨑:まぁ、センスがあったんですかね。笑
―その後、自衛隊を経験されて、スポーツフィールドへ入社してますよね?自衛隊とスポーツが結びつかないのですが、まず入隊したきっかけを教えていただけますか?
松﨑:実は小学生のことろから正義感が強くて、将来は警察官になりたかったんです。街で歩きたばこをしてる人とか、優先席で自分の前におばあちゃんがいるのに譲らないとか、モラルが気になってしまって、結局注意しちゃうんですよね。決められたルールの中でどれだけできるか、を考える人間だったんです。ですので就職活動はせず、1年間警察の試験勉強をしてました。ただ結果は受からなくて、その後1年間はフリーターでした。
25歳の時に「さすがにこれはまずい。」と思ってた時に、従兄弟から自衛隊の話を聞いて、(警察だけじゃなくて)自衛隊に目を向けるのもいいなと思えました。学生時代、バックパック一つで海外ボランティアへ行ってたので、PKOのような国際派遣にも行けたらと考えてました。正直な話をすると、公務員という身分も体裁がいいな、なんて思ったのもあります。
―治安を維持するという広い意味では警官も自衛官も同じだし、“あるべき姿”を守るという点では自衛隊も警察官も近い概念で仕事していますよね。自衛隊入隊後はどのような仕事?
松﨑:海外に行きたいという思いが強かったので施設科を選びました。武器とか戦車とか正直興味がなくて。京都にある駐屯地希望でしたが、教育隊があるので優秀な人はそこの駐屯地に優先的に残されるみたいで。結局、愛知県にある駐屯地に配属となりました。
―施設科。不勉強で申し訳ないですが、どんな仕事をやるの?
松﨑:ざっくり言うとショベルカーとかダンプカーを使って、災害時に重機を扱って、道の確保を行います。戦闘でいえば、地雷探知の部隊で、地雷を爆破させて道を作る部隊にいました。最前線で死んでもおかしくない部隊にいたんです。
―初めて知りました!でも、災害時には日本中で活躍する分、より身近に感じました。有事以外の通常業務というのは、訓練が主なんですか?
松﨑:時期により項目があります。春・秋になると一週間くらい訓練場にこもって、雑木林の中で土地を整地して、訓練ができる場所をつくる演習場整備があり、それが毎年2回ずつ、各部隊に割り振りが与えられるんです。あとは年に1度、部隊の点数が出される検閲訓練があるので、それに向けて訓練を行うことが大きな業務ですね。
あとは地域交流のために自衛隊祭りなど行います。地域の人たちを大事にすることは自衛隊の考え方で、自衛隊に関することを広めることに力を入れています。そうしないと、自衛隊は社会的に閉鎖隔離されたものになりがちですので、外部との繋がりを持つためにも行います。
―実際、災害が発生した時、松﨑さんがいた部隊でも復興支援なども参加するの?
松﨑:参加します。記憶に新しいところでいうと、熊本の震災時などです。基本的には災害地に近い協力隊が派遣されることが多いんですけど、それだけだと近くの人達も精神的に疲れてしまうので、遠方からも交代要員という形で緊急出動命令があるんです。朝に集合して準備、出動します。
―これも不勉強ですみませんが、徴兵と違って自衛隊は任意でやる公務員なわけで、任務内容や任務地に個々人の要望は出せないと思うんですが、それに不都合や不満を感じることはないのかな?
松﨑:自衛隊は特殊なルールに則ってるんです。例えば、独身の人には、「自衛隊は定められたところに居住しなければならない」と住居のルールがあります。国家公務員なんですけど名目も「特別国家公務員」なので、特別なルールが設けられているんです。
―踏み込むけど、例えば「紛争地域は怖いから嫌です」って言えないですよね?
松﨑:海外になると募集による枠が出てくるので、それに当てはまる人を募ります。
―募集により、必要人数が満たされなかった場合は?
松﨑:推薦みたいな感じであると思います。ただ、日本の自衛隊は戦闘集団ではないので、一線引かれるんです。他国の軍が駐屯している場所でも、ここから先は危険区域だから入らないとか。
―とはいえ、そもそも危ない地域ですからね、、汗
~スポーツフィールドとの出会い~
―その後、転職を決意したきっかけっていうのは?
松﨑:自衛隊を2年間働いたんですけど、僕の中でピリッとしなかったんです。皆さんが想像する厳しい訓練や体力錬成、しつけ事項とかはあるんですけども、環境に慣れてしまえば辛いと思ったこともない。自分自身を律すれば、誰でもできると思うんです。前期の教育隊から部隊配属後の研修すべてで1番の成績を取ることができました。ただ、だからといって給料や役職が上がることはなかったんです。自衛隊は54歳で定年退職になるので、その先の人生を考えた時に不安になってしまったんです。自分の理想とする働き方と、自衛隊の働き方が違うのかなと感じました。
あとは、入隊前に希望していた国際派遣から帰ってきた同僚たちの話を聞いてると、率直に「行く必要があったのかな?」って思ってしまいました。実際の現地の緊張感や、海外に行ってまで、「毎日が過ぎるのを待ってる」とか「1日筋トレで終わった」とか。それなら大学時代に海外へ一人で行った経験もあるし、同じ海外にいくのでも個人でやった方が得られる満足感は高いんじゃないかと。ここ(自衛隊)で働く必要を感じられない、と思ったことが転職を決意させました。
―そこからスポナビキャリアのユーザーとして最初に登録したきっかけは?
松﨑:Facebook広告を見てですね。登録したら電話で面談の案内を頂いて、「日曜日しか空いてないです」って言って、“日曜日”に北川さん(執行役員)と面談しました。今思うと、よくもまぁ先輩を日曜にしれっと呼び出しましたものです(笑)
―どんな転職活動でしたか?
松﨑:当時は、結婚を考えていたので、稼ぎたい気持ちが強かったのは印象に残ってます。企業研究だとか、ロジカルに企業のことを勉強しようとかっていう考えもなく、本当にただ漠然と話をお聞きしたいっていう感覚でした。そんな中で面談時にせっかくいい企業さんを紹介していただいて、面接に進んでみたんです。一次面接を受けて、二次面接ってなった時に、軍長伝令という役職に抜擢されていて自由に動けなくなってしまい、結果的に縁がなかったんです。とても良い会社だと思ってたんですけどね。
ただ、そんないい会社に「なぜ北川さんはいかないんだろう」て思ったんです。ここの仕事になんかからくりがある!と笑。それが人財業を知るきっかけです。
そこで、もう一度北川さんに会うことをお願いしました。面談の際に、北川さんからスポーツフィールドどう?って言われたんです。僕は「なんで北川さんがスポーツフィールドで働いているのか」っていう謎を聞きたかったと話したところ、会社紹介をしていただき、スポーツフィールドを知りました。
―それは北川さんが「うちの会社がいい会社」って思ってるっていうことですね!松﨑さんがスポーツフィールドに魅力を感じたところは?
松﨑:会社説明をしてもらった時、この会社面白いなと感じました。何点かある中で、「行動指針を大事にしている」と聞いた時に自分とすごいリンクする点が多くて、面白いなって率直に思いました。最終面接の時に、社長から企業理念・行動指針についての話があったときも、改めて、本当に自分の人生と被ると感じました。不思議な引き寄せってあるんですね。
―スポーツフィールドは事業に直結する企業理念・行動指針になってると感じます。そして、そこは安易に変わらず守っていく。長期的には、自分の目指したい道と会社の方向性が重なり、理念に惹かれて入社することはすごい意味のあることだと思います。
松﨑:あとは、北川さんが、僕(求職者目線)のために一生懸命働いてくれてたことも惹かれたポイントです。
―入社してのギャップはありましたか?
松﨑:未経験だったので期待も何もなかったのが正直な話で。自分がどうにかするしかないっていう考えで名刺の渡し方を新卒と一緒に教わったり、営業架電のポイントを聞いたりと、自分から学んでいくスタンスなのでギャップはなかったです。
まずは言われたことをちゃんとやるしかないなっていうのがありました。僕も早期に成果が出た訳じゃなくて。自分ができることをやろうと必死でした。
―仕事においての大変な時はありますか?
大変な時ですか・・・楽しんで仕事していますよ!まぁ、仕事で大変だと思える瞬間は仕事と家庭の両立する時がどうも大変だなって思える時はありますけどね笑。ただ、働いていて思うのはすごく柔軟な会社だなって感じます。
―僕が言うのもなんですが、この1~2年ぐらいですごく会社として成長していると思います。松﨑さんは成長してる実感があります?
松﨑:僕は会社として組織になってるなって体感はしてますね。自衛隊の経験も踏まえてですけど、ルール・しつけがないところに規律といいますか、個人の思いってなかなか乗せづらいと思うんです。スポーツもルールがあるからこそ、そこに生まれる感動があると思ってます。それが「何でも自由だよ」ってなった瞬間に、誰もが感動する瞬間ってなくなると思うんですよね。そういう意味では、今のルールの中でやるべきことをやるのが社会人として重要なことじゃないかなと思います。
―経営戦略と管理本部、全員に聞かせたい笑!
~松﨑さんが考える今後の展望~
―この先にスポーツフィールドで成し遂げたいことか取り組んでみたい業務とかそういうものはありますか?
松﨑:そうですね。僕自身が本当に転職する時に心に決めた覚悟じゃないですけど、3年から5年は身を粉にして働かないと、自分の安定は生まれないし、収入面でも確立できないと思っています。その覚悟のもとに、まずは目先の階段をしっかりとのぼることを大事にしているので、リーダー、チームリーダー、セクション長になって、上に上がらないと見えない景色を見たいと思ってます。
今後、スポーツフィールドグループとして大きくなった時、そのグループのひとつ任される男になりたい。どういう形になるか全然漠然としてますし、新規事業の発想もまだ出ない人間なのですけど、篠﨑さん(当社代表)の思いについていきたいし、乗っかっていきたいと思ってます。そのために、自分自身のスキルを見極める必要はないと思うんですけども、「これだ」というものを持っとかないといけない。もっと知識人として頭の柔軟性が必要だなと思います。
―ファンダメンタルな知識はやっぱり持っといた方がいいですね。
松﨑:そうですね。この仕事をしていると僕の全く知らない世界の人たちを経験する人、社内、求職者、営業でもそうですし、それを知ることができる。企業を説明するときも企業を知らなきゃいけないし、社会の仕組みと現状の把握していないと話せない。
僕が「余生」っていう言葉が嫌いで。余って生きるって書くじゃないですか?僕の人生は余っている時間なんてなくて、死ぬ瞬間までが人生って決めてるんです。僕、死ぬ瞬間に自伝を出したいんです。広辞苑よりも分厚い笑。過去の話、スポーツ、大学・・・など。自然とページ数が増えていきますよね。そこが今、この仕事しててたのしいと思える瞬間ですね。
―大きい夢ですね。この想いを忘れず、今後も、松﨑さんのご活躍を期待しております。
今日は貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。

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