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綱嶋久子(旧 向井久子)さん(以下:向井

中学時代からバレーボールを始め、女子バレーの超名門である就実高校では、インターハイや国体で優勝。卒業後は石川島播磨重工呉、ユニチカでプレーし、2000年のユニチカ廃部に伴い、東レアローズの一員となる。

東レアローズでは、キャプテンとしてリーグ初優勝と国体・天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権優勝の3冠に大きく貢献した。引退後は、指導・普及を行い、現在は岩手県にてバレーボール教室で指導を行っている。愛称は“ダン”。

バレーボールとの出会い。~高校入学はジャンプ力?~
―向井さん、本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。向井さんのお話が聞きたくて岩手まで来ちゃいました。早速ですが、バレーボールとの出会いを教えていただけますか?
向井:バレーボールと初めて出会ったのが中学校一年生でした。本当はソフトテニスを希望していました。ソフトテニス部がいつも(人目に付く)屋外で練習しているのを見て、「可愛いなぁ」と思っていて。ただ、仲良かった身長の高い友達がバレーボール部に入ったので、私も釣られて入部したことがきっかけです。
当時ではめずらしく、女の子で165cm以上が3人もいる大きいチームでしたが、中学校の戦績は県大会もいけないようなチームでした。でも、今指導者としてこの経験は強みだと感じています。
―中学生、女子バレー部としては大きな選手が多いように思えます。“県大会もいけないような“チームから、どのように就実高校に入学したのですか?
向井:JOC の広島選抜合宿に参加した時がきっかけです。私自身、戦績はないですし、バレーボールも下手でしたが、高校の監督が『ジャンプ力』だけを見て声を掛けてくれました。しかもスポーツ推薦での提案で。こんなこと、普通じゃありえないですよ!一方で、選考合宿中では自分がヘタクソだったんだと気付き「このまま広島にいたらこの差は縮まらない」と感じたので、岡山へ出ることを決めました。このきっかけがなかったら今の自分はないですね。
―高い志をもって就実高校へ入学されたのですね。中学校の戦績とはガラッと変わり、インターハイ、国体ともに優勝しています。就実高校はどんなチームでしたか?
向井:就実高校チームのスピリットが『中学校で県大会に行ったことがないメンバーでも全国優勝できるということを証明しよう』でした。結果的にインターハイ、国体を優勝しました。今、自分自身で指導者の立場になると、当時の監督は本当にすごいと思います。
―素晴らしいスピリットを、素晴らしい監督の指導で実現されたわけですね。卒業後の進路は、当初から実業団にいきたいと思っていましたか?
向井:私みたいな選手はトップレベルのチームではできないと感じていたので、地元広島の呉にある石川島播磨重工呉のチームに行けたらいいなと思っていたところ、高校3年生4月の始業式の時にそのチームから声を掛けていただいて、希望通り進路が決まりました。あとから聞いた話ですが、8月のインターハイ優勝、10月の国体優勝の前には既に進路が決まっていたので、V リーグのチームが声をかけてきたところ、監督が「あいつはもう4月に決まっている」って断っていたみたいです(笑)
―野球でいうと、甲子園大会前にもうドラフトやっているみたいですね(笑)そのあとに、ユニチカ、東レアローズへと移籍していらっしゃいますよね。
向井:そうです。石川島播磨重工呉の時に ジュニア代表に選ばれて海外遠征から帰ってきたら、チームが崩壊していました。監督は練習へ参加せず、選手は練習しない。本当に荒れ果てていました。「頑張ろう」と思って、ネットを立てて張り、掃除を行っていたのですが、「あいついい子ぶっている」みたいな雰囲気があって、チーム内で揉めることがありました。そんな時に、高校の監督にバレーボールを真剣にやりたいとお願いしたらユニチカの当時の監督達川さんに相談をしていただきました。
―ユニチカへ入団後はどのように東レアローズへ入団しましたか?
向井:母体のユニチカがバレーボールチームを維持できないこととなり、チーム全員が東レアローズへ移籍しました。全体移籍をさせてもらって早く結果で恩返しをしたいとの思いとはうらはらにチームの戦績は、Vリーグでファイナルまで行くのですが、最後に勝てなくて結局は優勝を逃していました。「力はあるのになぜ勝てないのだろう」といつも考えていました。私なりに考えついた結論は「選手と監督の間に溝がありチーム一丸となれていなかったのでは」と考えました。その後、レギュラークラスを中心に7名の退部などで2003年から主将を務めることになりました。
人生初のキャプテンで当時は不安しかありませんでしたが自分が主将になったからには、監督の気持ちと離れることなく頑張ろうと決めました。チームメイトも11人まで人数が減り、年齢もインカレに出るような経験の浅いチームになりました。本当に新チームという感じです。

(現役時代の向井さん)

 

主将、向井久子の軌跡 ~Vプレミアリーグとしては、異例の5年連続キャプテン~
―向井さんが主将となり、環境が大きく変わる中で、優勝に向けてチーム内での変化はありましたか?
向井:チーム状況が変わる中、コーチからの提案で、アスリート向けのメンタルトレーニングに定評と実績のある、株式会社サンリさんと出会いました。チームとしてサンリさんの行っている『SBT(スーパーブレイントレーニング)』を取り入れました。新しい取り組みに当時の若いメンバーは抵抗があったみたいです。
最初の説明の時には、実は寝ていた選手もいました。チームとして2年間の指導・サポートを続けていただき、結果としては、初年度は準優勝、その後必要な経験を経て2007/08シーズンには東レアローズとして初のVリーグ優勝を果たしました。今振り返ると優勝までの『5年』は必要な期間だと思います。
―実はサンリさんのアスリートNo.1プロジェクトには、当社も運営協力させていただいております(笑)新しいことに挑戦してみることは大切ですよね。初優勝の時、対戦相手は恩人でもある達川監督率いるデンソーさんだったと思います。どんな気持ちで試合をしていましたか?
向井:Vリーグでプレーできるきっかけをもらった達川監督(元ユニチカ監督)が決勝の相手です。試合の時は、達川監督に私たちが優勝する姿を見せたいという一心でしたね。初優勝の表彰されている時に、達川監督と目が合い「うんうん」とうなずいてくれたことは本当にうれしかった。高校の監督と達川監督は私の恩師ですから。
―恩師の前で優勝できて、恩師が認めてくれることは、本当に素晴らしいですね!以前に感じられていた『監督と選手の溝』はどのように改善しましたか?
向井:課題は、「スタッフが考えていたことが選手にうまく伝わっていなかった」ことです。そこを改善するために2週間に一度は監督・コーチとキャプテン、副キャプテンでのミーティング時間を割いてもらいました。意思疎通の時間ですよね。結果は、スタッフの考えが理解でき納得できたことで選手と監督・コーチとのパイプ役をする事ができ選手が全力でバレーボールに打ち込めるようになりました。ただ、スタッフは大変だったと思います(笑)
―コミュニケーションこそ、重要なことですよね。チームメイトの反応はいかがでしたか?
向井:何も言わないでも本気の背中を見ていてくれたと思います。まぁ、私に逆らう子はいなかったですね(笑)ただ、「きっといいことがある!」と信じて付いてきてくれましたし、一人ひとりが考えて行動してくれるので、最後のシーズンは主将として何もしていません。ただ、誰よりもどんなときもバレーボールを楽しみ尽くしただけです(笑)
―組織が一枚岩になっていたということですね。チームがまとまるために意識していたことはありますか?
向井:組織構造として、ピラミッドがしっかりしていること。一番上のメンバーが、一番下の子まで気に掛けることはできないですし、一番上はいずれいなくなる。その時にチーム力が崩れないためには、土台がしっかりしていることです。
―なるほど。そして、初優勝からは一気に3連覇。その要因は何だと思いますか?
向井:勝つことの快感と雰囲気を理解している選手が特に多かったと思います。あとは勝つために通った地獄のような時代を知っている選手が居たことです。実際に、優勝するまでの間、入れ替え戦間際までチーム力が落ちたこともありました。本当に辛い時期を味わっている選手がいるときは底力が違います。苦しい経験を経て本気のチームになれたこと、指導者からの押し付けではなく選手が主体的に動くチームが本当に強いと思います。

大切にしている言葉

 

バレーボールの指導者として
―現役はいつまで続けられましかた?
向井:2008年、優勝して引退しました。
―優勝して引退ですか。引退はいつ頃考えたのですか?
向井:優勝する前年のオフに引退しようと決めていました。当時は、本当に心身が疲れていて。オフ期間に旅行でハワイへ行ったときに、現役を続けるか自問自答しました。考えれば、考えるほど、「バレーが好きだ」「バレーがやりたい」という気持ちが心の奥底にあって。そうしたら、優勝するために必要なことが止めどなく出てきて、紙に書いて監督に持って行きました。そこで「これに書いてあることをやれば絶対優勝できます。私はこのシーズンを区切りに引退します。」と伝えました。
―最後のシーズンは何のためにバレーを続けていたのですか?
向井:「日本一強くて、日本一愛されて、日本一幸せなチーム」にするために続けていました。私の原動力としてチームメイトの最高の笑顔が見たかったからです。最高の笑顔って優勝しないと出ないですからね。「東レで良かった」と選手が言ってくれた時が一番主将として嬉しかったです!
―引退後は後進の指導にあたられていますが。
向井:元々、引退後はバレーボールの指導・普及を考えていました。それを会社に伝えたところ、会社側も1年間、籍を会社に置いて思う存分バレー教室を行えるようサポートをしてくれました。毎日、バレーボールの教室で全国飛び回っていました。フジテレビのコーチングキャラバンも経験させていただきました。
中学1年生から30歳の引退まで競技をやってきて、バレーボールのおかげで成長できたと感じていたから、その普及に努めたいと考えたのです。ただのスポーツではなくて、「人として成長するため」のツールとしてのバレーを広めたいと。
岩手県紫波郡へ ~OWLSバレーボールアカデミー開校~
―なるほど。そこから、現在のOWLSバレーボールアカデミーにたどり着くまでの経緯を教えてください。
向井:結婚後、私は千葉でバレー教室やスクールで指導していました。岩手県紫波郡では、『岡崎建設』という男子チームが志高くバレーに取り組んでいて、地域貢献として年に一度バレーボールのトップ選手を呼んでバレー教室を開催しています。岩手出身の元東レアローズ選手がいる関係で毎年、東レアローズの男子が参加していました。たまたま、2011年に男子東レ選手が来ることができなくなり、私に声が掛かり代打で岩手に来たのがきっかけです。
当時、ただのクラブチームが地域貢献をしている姿やバレーボールに取り組む姿勢が素晴らしくて、すぐに岡崎建設のファンになりました。東日本大震災があった時に、千葉でチャリティバレーボール教室を開いた際に参加してもらったり、集まった義援金をお渡ししたりと活動していました。そうしていたら、岡崎建設バレー部の監督から「岩手でバレーボールアカデミー事業をやりたい」と千葉まで話に来てくれて。当時は、千葉に家を購入していた、主人は病院でリハビリトレーニング指導の仕事をしていたので自分が行きたい気持ちは山々でしたが自分が行くのは難しいのでいろんなコーチを紹介していました。
すると、数か月後に主人が「岩手へ行こうか」と言ってくれたんです!すぐに連絡をとって岩手へ行きました。
あとから聞いたところでは、自宅に来て熱心にアカデミーの構想を説く監督の姿を見て、私が必要とされているのかなと思ってくれたようです。
移住したときはまだアリーナの骨組みしかなかったですが、その後2014年8月にアリーナが完成しアカデミーも開校しました。
―今のアカデミー状況は。
向井:今は、3歳から15歳の110人がいます。開校当初は一人でも、二人でもアカデミーはやろうと思っていたのですがスタートから50人も来てくれて、本当にありがたかったです!今うれしいのが、兄弟姉妹でバレーをやってくれている人が増えたことですね。

アカデミーのスローガン

―今の向井さんの夢はなんですか?
向井:今はバレーボールを教えていますが、指導理念として『将来どんな分野へ行っても、それぞれの分野でリーダーになる人財を育成する』ことを目指しています。バレーボール選手として食べていける人は少ないので、大人になった時に何かの分野でリーダーとして活躍できる人を育てたいですね。アカデミーでは学年でクラス分けして、各クラスの中でリーダーが必要になるような環境を作っています。環境が人を育てているなと感じますね。
―向井さんが指導する中で、大切にしていることはありますか?
向井:個人個人を尊重すること、命令口調にならないことです。できるだけ問いかけるように心がけています。「はい」と「いいえ」で答えられる質問はしないです。二択なので返事も楽ですよね。高校の時は監督から「それはなんでや」と聞かれて参っていました。
例えば「今日の練習であったミスはどうだった」と聞かれたら「あの時は注意が足りなかった」と答えると「それはなんでや」と。自分の考えや行動を説明し続けなければいけないので、とても勉強になりました。今の中学生は質問をすると「はい」と答えてしまう子が多いですね。「はい」と「いいえ」だと監督の求めていることを言わなければと思うじゃないですか。そうすると自分の考えとかけ離れてしまいますからね。
―私は高校野球でしたので、「はい」と「Yes」の二択環境しかなかったです(笑)。110人規模のバレーボールスクールは日本でも少ないですよね?
向井:そうですね。年代が幅広いですからね。3歳から15歳までいますから。一番上の卒業生が、今大学1年生ですが、東京や千葉の大学でバレーボールを続けてくれていて、貴重な1,2日のオフ期間に顔を出してくれますよ。

練習前には致知名言集を発表してから練習に入る(発表するために事前に勉強してくる子もいる)

―さて、インタビューも終盤です。向井さんが考える、今の社会に必要な人財は。
向井:自分で考えて、行動できる人です。その行動を振り返ってチャレンジし続けて、「失敗してもへこたれない強さ」が、身につくことがとても重要ですよね。
(スポーツでも)指導者が欲していること、やってほしいことではなく、自分がやりたいと思うことに取り組めば、自分の中から湧き出てくる欲求に対して、次々と考えることができますし、自然と粘り強くなると思います。「考えてやってみた。でも違う」を繰り返すことって楽しいじゃないですか。そうすると、急にできないことができるようになってもっと楽しくなりますからね。
実際、中学生の練習時間は21時までですが、22時まで自己練習する子もいます。放っておくとずっと練習する子もいますよ。さすがに親がかわいそうなので終了時間を決めていますが(笑)あとは、電車で来ている子も3分前まで練習して帰りますからね。放っておいても、自分で考えて動くことが多いですよ。
―向井さんが指導しているアカデミーチームは強そうですね。
向井:必ずしも強くはないですが、みんなバレーが好きですね。チーム練習は遠征前に少しするくらいなので。あくまでもバレーの塾ですからね。中学生がアカデミーで学んだことを持ち帰って、各チームで還元してほしいと思っています。
小学生はチームがありますが、2時間のうち40分は体つくりをやっています。バレーだけやれば、もっと強くなると思いますが、小学生でやりすぎてケガしてしまったら、ずっとケガと一緒にプレーするってかわいそうじゃないですか。しっかりとウォーミングアップや体つくりに時間を割いていますね。
―最後に、スポーツが大好きだけど、壁に当たって悩んでいる人へ何かメッセージをお願いできますか?
向井:好きだったら頑張る。そして、勇気を持って、より良くするための「行動」をしてほしいです。行動すると何かが変わると思います。たとえ失敗しても、経験が蓄積される。だから、本当の意味で失敗はない。
―向井さん、貴重なお話ありがとうございました。今後もアカデミーの発展、そして、日の丸を背負う選手が出てくることを期待しています。

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